支部だより(2024年9月)
北海道支部
◎三月二日、支部例会をオンライン開催(ZOOM使用)した。タイトルと発表者は以下の通りである。
〈研究発表〉
マンガにおける内語研究の再検討とその可能性 劉 媛
中島梓論――やおい/BL史再考に向けて 成瀬 真己杜
漱石と澤菴――『吾輩は猫である』第九章をめぐって 飛ヶ谷 美穂子
劉は、マンガにおける「内語」の定義とその役割に関する従来の研究を踏まえたうえで、「内語」の可能性をつげ義春作品を具体例に挙げながら論じた。つげ作品における「内語」は、同時代の少女マンガによって確立された詩的言葉や青年マンガの作家自身の経歴を語る自己表象とも異なり、日常性の細部を効果的に表現する手段であると述べる。
成瀬は、従来のやおい/BL研究で前提とされてきた女性中心主義を批判的に検討し、クイア理論の立場からのやおい/BL研究の方向性を示そうとした。その目的のために、文化的な混淆が見られた『JUNE』誌において、特権的な位置にいた評論家中島梓の主張を確認し、そこにどのようなアクチュアリティがあるかを明らかにしようとした。
飛ヶ谷は、漱石山房蔵書目録中の澤菴関連の文献を渉猟しながら、漱石への澤菴の影響について、『吾輩は猫である』における澤菴と禅をめぐる登場人物たちの対話を通して明らかにしようとした。とりわけ、作中で言及されている柳生宗矩へ宛てた澤菴の「不動智神妙録」に着目して、両者の関係性を探った。
◎二〇二四年五月三一日付けで、『北海道支部会報』二七号が発行される。論文題目と執筆者は、以下の通りである。
谷崎潤一郎「卍」研究――主要人物の攻勢的欠如化 中川 智寛
未知の林芙美子文学――『放浪記』以前の童話作品 姜 銓鎬
多和田葉子「犬婿入り」論――〈異質性〉を取りもどす物語 袁 嘉孜
後退する真理の保証 ――西尾維新『クビキリサイクル』論 宮﨑 遼河
タル・ベーラの『サタンタンゴ』における顔の表現
――クロースアップ、演出、ロングテークをめぐって モルナール・レヴェンテ
少女マンガにおける同性愛表象論――一九七〇年代の作品を中心に 郭 如梅
『会報』は一部八〇〇円(送料込み)で販売している。希望の方は、メールアドレス( hkinbun@hotmail.com )まで連絡をください。(押野武志)
東北支部
2024年度夏季大会を、6月29日(土)午後、弘前市の弘前大学人文社会科学部を会場に、オンラインとの併用でおこなった。研究発表は、すべて応募のあった自由発表で、次のとおりである。
・笠間はるな(宮城学院女子大学)「〈番町の若旦那〉の周辺――樋口一葉「うつせみ」の成立-」
・張 昊(弘前大学大学院修士課程)「堀辰雄『聖家族』論――表現方法のフランス文学からの受容」
・奥村華子(山形大学)「幻想の〈地図〉をひらくために──森崎和江の東北紀行文」
笠間氏の発表は、従来「家」の抑圧による女性・雪子の失調に焦点をあてて解釈されてきたことに対して、謎を含んだ語りで「番町の若旦那」と呼ばれる婿養子の正雄が描かれたことに焦点をあて、雪子をめぐる人物たちは単に「家」の論理を体現するだけではないことを論じた。張氏は、従来から指摘されているとおり堀がフランス文学の翻訳などを通じて「レンブラント光線」と「婉曲表現」を手法とした「聖家族」について、より精密化して解釈しようとした。奥村氏は、森崎和江『北上幻想』をとりあげ、旅する身体と過去の体験、そして出会った人の生身の体の声が、既成のジャンルや記録や観察の様式に収まらない独特な文体で表現されていることとその意義について論じた。
開催前には、他の学会研究会への参加・準備、子育てなどとの日程的な兼ね合いが難しく会場に集まれない、また感染症のために会場に足を運べないなど諸事情の声が届き、会場に集まる人数が大幅に減るかと危惧していた。だが、当日は弘前大学の学生をはじめ30名近くが参集し、オンラインでも10名ほどが参加した。各発表に対して会場からもオンラインからも活発な質疑があった。
大会前後の時間には運営委員会と総会を開催した。会計・監査、大会、会報などの情況が報告され滞りなく運営できていることを確認した。会計からは、会報の充実により印刷費が増えたが、大会の会場費が低く抑えられてきたことで余裕が生まれていることが報告された。会報は、大会になかなか参加できない会員にとって有益なので、今後も紙面に工夫を凝らし多くの会員に喜んで貰える会報づくりに尽力してもらうことが確認された。大会については、引き続き支部会員の意欲的な研究成果の発表の場としていくとともに、オンラインも活用して新たな研究の視野を開いていける場、有意義な意見交換の場にしていくことなどが話し合われた。
(山﨑義光)
新潟支部
新潟支部では、昨年度の年度末に、左記のとおり第二回支部例会を開催した。
○発表題目・発表者
災厄を超える未来――多和田葉子『不死の島』から『献灯使』へ――
趙 子璇(新潟大学大学院)
上海の芥川龍之介、日本近代作家――フィールドワーク報告――
堀 竜一(新潟大学)
○日時:令和六年三月二三日(土)午後二時〜五時
○場所:新潟市生涯学習センター・三〇一講座室およびZoomオンライン
趙子璇氏の発表では、多和田葉子の『不死の島』と『献灯使』を対象に、それぞれの作品が描く放射能災厄がもたらした未来像を探求した。『不死の島』では、ドイツに住む主人公が第三者の書物から、放射能の影響により日本が直面する社会的孤立と世代間の健康格差を知る。老人は死ぬ能力を失い、若者は病に侵されるという設定を通じて、社会が鎖国状態に陥る様子が描かれている。『献灯使』では、語り手が外部から日本の内部へ移行し、被災後の日本に生活している人々に焦点を当てることで、放射能汚染後の社会がどのように変容し、新たな社会を形成していくかが探られる。特に、「義郎」と「無名」という二人のキャラクターを通じて、障害者的身体と動物化のテーマが探られている。無名の身体は放射能の影響で変異し、動物のような特徴を持つようになり、これが従来の人間中心主義に対する挑戦として描かれている。質疑応答では、「災厄後の社会変容と身体の変容」が主要なテーマとして討論され、『献灯使』における若者の世代が体現する新時代の到来が強調された。また、ドイツに住む多和田葉子が、日本を舞台とした作品を創作することの意義が深掘りされた。彼女は、「文化の中間者」としての立場を活かし、異文化間での経験を通じて新しい視点を提供しており、彼女の作品が文化の境界を越えた新たな視点を提示し、文学が社会や個人のアイデンティティに与える影響を多角的に考察する契機となっていることが確認された。
堀竜一氏の発表は、昨年一〇月に中国・上海で実施したフィールドワークについて報告するとともに、日本近代文学作家の上海渡航、それに基づく上海を舞台とする文学作品の文学史的展望を模索したものである。フィールドワークは大正一〇年(一九二一)の上海における芥川龍之介の足跡を辿るものであったが、それを、①上海の歴史と渡航・居留日本人、②谷崎潤一郎と上海、③芥川後の文学者と上海、の三つの大きな観点から位置づけなおそうとした。日本人の租界居住者急増期であり、かつ、中国共産党第一次全国代表大会開催直前の上海滞在が、芥川の創作活動に与えた影響、芥川後の作家たちに与えた影響については、今後充分吟味されるべき課題であることが確認された。
昨年度は支部例会を二回開催するに留まった。今年度は支部例会を複数回開催するとともに、支部外から講師を招く、他支部との合同研究集会を実施するなどして、外部との交流を活発に行っていきたい。(堀 竜一)
北陸支部
北陸支部では二〇二四年三月二三日(土)、金沢大学人間社会一号館においてzoomによるオンラインを併用して支部大会を開催した。内容は以下のとおり(肩書は発表時点のもの)。
レッディ・シュリーディーヴィ(金沢大学国際基幹教育院外国語教育系)
「長谷川時雨:女性、出版、都市文化を中心に」
発表では多様な著作活動を通して女性の社会進出に貢献した長谷川時雨を取り上げ、同時代文化との関連において考察した。
学歴は寺子屋式の秋山源泉学校に限られる時雨は、下町娘の教養であった舞踊、二弦琴、茶道などを身につけた。時雨は祖母や父の影響下で芸事に関心が深かった。祖母の死後、旧岡山藩の邸に行儀見習に出され、そこで『女鑑』や『大日本女学講義録』などの読書をした。職を辞して家に戻ってからは、竹柏園の佐々木信綱のもとで『万葉集』や『源氏物語』などの古典を学んだ。
一方でこの時代、バスやタクシ-が都市の交通機関として登場し、東京では「円タク」「円本」ブ-ムが起こった。アメリカの映画やジャズ等が、大衆文化の先端を走ったのもこの時期であった。ダンス・ホールが流行し、カフェーという酒場が急激に出現してきた。一九二〇年代にはいると、高等女学校数は男子中学校数を上回った。
こうした背景のもとに登場したのが『女人芸術』であった。昭和初期には、女性たちの間で、洋装、断髪、ハイヒールが流行し、「モダン・ガール」という言葉も流行した。アメリカの映画の影響で、日本でも映画女優の間で短いスカートに断髪というファッションが流行した。このスタイルで現れた女性がモダン・ガールと呼ばれ、昭和に入って文献上にも現れた。
発表では男性の断髪が奨励される一方、女性に対しては当初断髪禁止令が出されたなどの歴史的経緯を踏まえながら、発表ではモダン・ガールの象徴とされる〈断髪〉が、男性が支配する封建的な社会制度への挑戦であり、自己表現であったことを確認した。
参加者からは、女性解放を先導しながら時雨自身が断髪しなかったのは何故かといった問題提起がなされ、外装と思想が必ずしも一致しない問題が検討された。また、モダン文化の重要地点であるはずの銀座に断髪の女性がほとんどいないという今和次郎の調査について、昼間に銀座を歩く女性の階層の問題が指摘され、階級の観点も踏まえて考察する意義が確認された。
東海支部
東海支部は、二〇二四年三月一六日(土)に、二〇二三年度シンポジウム・第七六回研究会として、「短歌・俳句研究の現在、そして未来」を対面・オンラインのハイブリッド方式により実施した。
本シンポジウムは、存命の栗木京子、物故したばかりの大牧広、黄霊芝といった歌人、俳人を俎上に載せ、それぞれを「社会」との関わりという観点から議論の場に引き出しながら、これまでにさまざまな困難と魅力を抱え込みつつ成長してきた短歌・俳句研究のさらなる可能性を探求するものである。
《シンポジスト》
○加島正浩(富山高等専門学校)「分断と忖度の外側――大牧広の「社会性俳句」の分析を通じて」
○草木美智子(法政大学)「栗木京子短歌の可能性とそのゆくえ」
○李哲宇(名古屋大学大学院博士後期課程)「日台俳壇の交流――1990年代から2010年代の「台北俳句会」を中心に」
《ディスカッサント》
○青木亮人(愛媛大学)
《司会》
○藤田祐史(金城学院大学)
加島氏は、いわゆる社会性俳句の概念、そしてその推移を整理したうえで、大牧広の実践した「社会性俳句」を分析し、特質に迫った。考察の過程において注意が喚起されたのは、季語をつうじて自身の変化を、また社会・時代の変化を詠みつづけた俳人の姿であり、その表現姿勢をめぐっては、国内外において進展する新自由主義的価値観への抵抗を読み取る視角が提示された。
草木氏は、栗木京子の短歌の特徴である「社会詠」に着目し、「時代」の「クロニクル(記録)」としての側面を支える〈数字〉の多用や、出来事/記憶の「風化」に抗う意志、詠み手の視点の変化等、その表現手法の意義について考察した。加えて、「戦争詠」の問題にも論及、戦死した伯父の存在を軸とする「家族」のモティーフを重視しつつ、この歌人の今後を展望した。
李氏は、一九九〇年代から二〇一〇年代における「台北俳句会」を対象に据え、その会報上に見られる黄霊芝の発言等を分析しながら、日台俳壇の交流の具体相を照らし出した。また、みずからの美を追求する黄の信念、主張を見定めるにあたり、政治的イデオロギーやナショナリズムの問題を回避しつつ文芸そのものを「主体化」する意識や、台湾季語の創出をふまえた検討が試みられた。
質疑においては、ディスカッサントの青木氏によって、議論の細やかな整理および示唆に富む提起がなされ、俳句・短歌における季語をめぐる問題や、俳人・歌人たちの表現が社会・時代と切り結ぶ諸相がいっそう浮き彫りになり、全体討議も活況を呈した。
対面・オンラインともに多くの参加者があった本シンポジウムは、短歌・俳句研究がいかに刺激と魅力にあふれ、また新たな開拓と発展の可能性に満ちているか、あらためて実感、共有される意義深い場となった。
(吉田遼人)
関西支部
二〇二四年度関西支部春季大会は、六月一日(土)に帝塚山大学を会場として、対面形式で開催された。あわせてZoomウェビナーによるオンライン中継も行われた。午前にパネル発表、午後に自由発表・特集企画・総会と、盛りだくさんの充実した内容となった。
パネル発表は、「講談本からひろがる大衆文化研究の視座―大正から戦後まで―」と題して、まず大阪公立大学文学研究科の吉沢コレクションを奥野久美子氏が紹介し、続いて中村健氏「書き講談の濫觴から大衆文学へ―『講談雑誌』を中心に―」、奥野久美子氏「講談編集の様相―〈博文館長篇講談〉の小林東次郎を例として―」、平尾漱太氏「真山青果「初袷秋間祭」論―「安中草三」の物語の系譜を手がかりとして―」、松田忍氏「太宰治「親友交歓」試論―「幡随院長兵衛」と〈平田〉を中心に―」の四つの意欲的な研究報告があり、講談本という視座から見えてくる文学研究の豊かな可能性をうかがわせた。
自由発表は、武久真士氏、山根直子氏の司会により、𠮷野莉奈氏「川端康成「花のワルツ」論―「少女」たちを分つ「結婚」への葛藤―」、野間颯氏「石原純の短歌における〈詩論〉―定型歌壇への反駁としての「新短歌概論」とその後―」の二つで、それぞれ昭和戦前・戦中期の小説と短歌をめぐる新しい見解が示された。
特集企画は、「戦後文学をひらく」というテーマのもと、一九五〇年代までに文壇に登場した文学について綿密な検討がなされた。発表者と題目は、山戸麻紗子氏「堀田善衞『時間』における南京事件と国際社会の中の日中関係」、木田隆文氏「外地文学を引揚げる―池田克己と日本未来派の戦後―」、長濵拓磨氏「梅崎春生と遠藤周作―「第一次戦後派」と「第三の新人」の交渉―」で、司会は東口昌央氏、佐々木幸喜氏が担当した。もうすぐ戦後八〇年の節目を迎えようとするなかで、それを先取りして戦後文学の再評価をめざすタイムリーな企画であり、質疑応答も盛りあがった。
当日は、会場に約七四名、オンラインに六〇名、あわせて一三四名の参加があった。なお、総会では、新役員、事業計画、能登半島地震被災に関わる会費の減免措置、予算案、会則変更が承認された。
また、今年三月に、電子版機関誌『関西近代文学』第三号が刊行された。掲載論文は以下の六本で、J-STAGEに公開されている。
神戸啓多「差異が拓く〈聖域〉――吉屋信子『花物語』「燃ゆる花」と「心の花」をめぐって――」
山本勇人「《再生》する詩的言語――小林秀雄と中原中也における〈哀悼〉の交錯――」
山戸麻紗子「堀田善衞『広場の孤独』論――一九五〇年の国際政治と「颱風の眼」――」
ボヴァ・エリオ「中島敦『古譚』における言語と死――「言葉の魂」を視座に――」
渡邊ルリ「〈限定性〉を照らす視座――中島敦『山月記』における創作――」
高芝麻子「中島敦文庫から見る中島敦における漢詩人――杜甫と高啓を中心に――」
引き続き秋季大会の発表、機関誌への投稿が数多くあることを願っている。(関 肇)
秋季大会は、二〇二四年一一月一〇日(日)甲南女子大学にて開催します(詳細は関西支部公式ブログ)。皆様の御参加をお待ちしております。(永渕朋枝)
九州支部
日本近代文学会九州支部二〇二四年度春季大会は、二〇二四年六月二二日(土)、佐世保工業高等専門学校 (長崎県佐世保市沖新町)の一般教科A棟大講義室を会場として、対面とオンラインのハイブリッド形式で開催された。参加者は、対面二〇名、オンライン三四名であった(参加者名簿による)。
プログラムは次の通りである。
〇栗山雄佑(会場校)「開会の辞」
〇桑原理恵(西南学院大学非常勤講師)「清をおれの片破<かたわ>れと思うからだ」― 挽歌<レクイエム>としての『坊っちゃん』」
〇蘇冠維(九州大学大学院生)「1944-1945 年における阿部知二の上海出講と反戦の実態―苦幹劇団との関わりを中心に」
〇栗山雄佑(九州大学大学院生)「大江健三郎「他人の足」論―原水爆禁止運動に関わる「脊椎カリエスの子供たち」をめぐって」
〇森葵(福岡大学大学院生)「遠藤周作『深い河<ディープ・リバー>』論―語りや物語構造からの考察―」
〇支部総会
〇中原豊(支部長)「閉会の辞」
本大会は明治から戦後にわたる作品を対象とした四名の個人発表で構成された。
桑原氏は、『坊っちゃん』を江藤淳が推論した嫂登世への「一連の『挽歌』」のひとつに位置づけると同時に、「墓」や「片破れ」「星の破片」など関連するモチーフを通じて「夢十夜」の「第一夜」、「趣味の遺伝」、『こゝろ』等々の作品をたどり、そこに漱石の宇宙意識を見ようとした。
蘇氏は、阿部知二の一九四四年から翌年にかけての上海セント・ジョンズ大学に出講していた時期のエッセイ「中國大學生印象記」や交流のあった上海苦幹劇団の俳優・白文の阿部回想記に着目して、そこに戦後の左傾化の契機を見ようとした。
栗山氏は、「他人の足」に描かれた「手軽な快楽」に潜在する生殖をめぐる〈障がい者/健常者〉間の二分法が「原水爆に抗議する、脊椎カリエスの子供たち」の社会運動に関する言説にも潜在していることを明らかにし、大江のその後の原爆文学における性行―生殖の問題の端緒として同作品を位置づけようとした。
森氏は、『深い河<ディープ・リバー>』の語りや物語構造に着目して、磯辺、沼田、木口、美津子の回想の時間構造を精緻に分析し、それぞれの語りに共通して物語の時間よりも後の時点からの語りが書き込まれていることを明らかにして、それがどのように意味づけられるかについて考察した。
本大会は対面とオンラインのハイブリッド形式で開催されたが、発表者は対面二名、オンライン二名、質問者も対面六名、オンライン五名と人数としても拮抗しており、この形式がコロナ禍のための緊急避難的なものから、研究発表会の通常の様式へと変化してきていることが示されているように思われた。
総会では、支部の機関誌「近代文学論集」が第五〇号という節目を迎えるにあたり、特集を組んで九州支部創設時の記録を残すことなどが決議されたが、ハイブリッド形式の実務を一人で支えてきた中野運営委員長の問題提起を受けて、ハイブリッド形式を基本とする支部運営を支える方向で体制を考え直す時期に来ていることも実感された。
(中原 豊)