支部だより(2023年9月)

北海道支部

三月四日、支部例会をオンライン開催(Zoom使用)した。タイトルと発表者は以下の通りである。

〈研究発表〉

宮澤賢治「青森挽歌」論──複数の声の行方                          

何 洪叡

佐多稲子の初期作品における労働とジェンダー

──「キャラメル工場から」と「お目見得」を中心に                 上戸 理恵

在日作家が描く在日のこと──深沢潮論                            

姜 銓鎬

何は、宮澤賢治「青森挽歌」の括弧なし、一重括弧、二重括弧と描き分けられる表現の効果を先行研究を踏まえながら詳細に分析した。そうした描き分けは、「せめぎ合う複数の声」を表現するためであり、とりわけ、ミハイル・バフチンのポリフォニー論を参照して、賢治は、開かれた多孔的な自己を描こうとしたのだという。

上戸は、佐多稲子「キャラメル工場から」の続編として限定的にしか言及されていなかった「お目見得」に特に着目する。佐多の「階級」と「性」の二重の抑圧という主題は、本作においても見出されるものであること、さらに、「ひろ子」の小市民性や出自にもとづく矜持を浮き彫りにする語りから、「キャラメル工場から」にはなかったひろ子に対する批判的な視点を獲得していることを明らかにした上で、「キャラメル工場から」の少女小説的要素との差異もあると述べる。

姜は、深沢潮の「在日」を主題とした複数の作品を取り上げ、「在日」の描写を他の在日文学との比較を通して分析した。深沢は、「在日」を否定的に描くことはせず、「在日」として生きることの意味を発見していく過程を描いているという。たとえば、『ひとかどの父へ』の朋美は、自分が「在日」の娘であるということを拒否していたが、日本人と他の「在日」との交流や実父との再会を通して、家族関係は回復され、「在日」としての自分を肯定的に受け入れたとする。

二〇二三年五月三一日付けで、『北海道支部会報』二六号が発行された。論文題目と執筆者は、以下の通りである。

ドイツ洋行体験からの飛躍──巌谷小波『世界お伽噺』                     増井 真琴

有島武郎「断橋」論──接続と断絶                               中村 建

戦時下の満洲における川端康成の文筆活動                            常 思佳

崔実『ジニのパズル』論                                    姜 銓鎬

現代日本における鉄道文化と女子の表象【下】                        三浦 健太郎

『会報』は一部八〇〇円(送料込み)で販売している。希望の方はメールアドレス( hkinbun@hotmail.com )まで連絡をください。(押野武志)

青森支部

青森県郷土作家研究会(昭和三四年一月一三日発会)を成立の母体とし、昭和三八年に日本近代文学会本部から設立を認められ現在に至った青森支部ですが、今後の在り方を考えなければいけない局面を迎えています。

かつては、小山内時雄初代代表理事(初代青森支部長)をはじめ、多くの青森県郷土作家研究会員が日本近代文学会に所属し、他支部との交流も活発でした。しかし、六〇年が過ぎる中で青森県郷土作家研究会と日本近代文学会の両方に所属する人員は少なくなり、今では五名を数えるのみとなってしまいました。

令和五年三月に五名の間で意見交換を行い、令和五年度は青森支部の今後について解散等を含めて検討して行くということで共通理解に至りました。早晩、関係者の皆様に具体的な事柄を御説明申し上げることになると存じます。多くの方々に御厄介をお掛けすることになるかと恐縮ですが、どうか御理解と御支援を賜りますよう、何とぞ宜しくお願い申し上げます。(竹浪直人)

東北支部

二〇二三年度夏季大会は、七月八日(土)午後、岩手県北上市、日本現代詩歌文学館を会場にオンラインとの併用で開催した。梅雨空の会場に二〇数名が集まり、オンラインで約一〇数名の参加があり、計約四〇名が参加した。支部会員のほか、東北地域の学部生院生の参加が目立った。オンラインを用いた大会は六度目、会場との併用は五度目となった。内容は以下の通り:

〈自由発表〉

横手一彦氏「小さな記録の再現──長崎(浦上)原爆の〈視覚資料〉と〈文字資料〉を括る」

*特集「宮沢賢治文学とその受容」

〈研究発表〉 大沢正善氏「新美南吉と宮沢賢治」

〈講演〉 松元季久代氏「宮沢賢治の「おかしな世界」との出会い──〈ソシュールと記紀歌謡〉からの道のり」

横手氏の発表は、長崎(浦上)原爆被爆者の「小さな証言」を当時の状況や時と場所などと丹念に接続して記録した調査研究の報告だった。二〇世紀前半の世界戦争、世界史的な破局という大きな歴史的出来事と接続し、そこに収まりきらない「小さな記録」を資料としてまとめ歴史に織りこもうとしたものだった。特集はベテラン研究者二名による発表と講演で、大沢氏は「風の又三郎」など賢治作品に影響を受けた新美南吉の作品の様式的特質を論じた。松元氏の講演は、ご自身が賢治童話にどう向きあい論じてきたかを材料に文芸テクストと方法論に及んでお話しいただいた。

終了後には、コロナ以後では初めて会場参加者に呼び掛けての懇親会もおこなった。あちこちで久闊を叙しあい、また初対面の挨拶が交わされるなど賑やかな会合となった。

運営委員会では、会計・監査、会報、大会等運営状況の報告と協議をおこない、大会後に総会を開催してご承認いただいた。大会運営、会報紙面については、従来の形にとらわれることなく、今日的に意義のある企画・発信を模索していきたいと担当委員は意気込んでいる。(山﨑義光)

新潟支部

新潟支部では、昨年度、十月八日に北陸支部との合同研究会開催後、支部例会を開催できなかった。新年度に入り、左記のとおり第一回支部例会を開催した。

〈発表題目・発表者〉

村上春樹『街とその不確かな壁』を読む──「継承」することについて 

堀口真利子(長岡工業高等専門学校)

裁判小説としての大岡昇平『事件』──証言はどこまで真実を語れるのか       

堀 竜一(新潟大学)

○日時:令和五年七月二日(日)午後二時〜五時〇〇分

○場所:新潟市生涯学習センター・ゼミナール室およびZoom

堀口真利子氏の発表は、村上春樹の新作『街とその不確かな壁』を取り上げ、執筆経緯を整理し、その土台となる「街と、その不確かな壁」(『文學界』1980)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』との比較を通じて、「継承」をテーマに論じたものである。主に、「影」についての描写や、高い壁に囲まれた街に対する門衛の発言、結末部の違いなどを取り上げた。村上が述べる「疫病と戦争の時代」に合致した物語が、本作のなかでどのように描かれているのか、そして、これまでの執筆経緯のなかでどのような相違がみられるのかを検討した。今回の発表では、次回の支部会にて予定している村上春樹シンポジウムに向けた課題もいくつか提供している。「現実はおそらくひとつだけではない。」という言葉にあるように、現実社会のなかで適応できないという意味において弱い者の救いとなる場としての現実が、本作に描かれていることについても言及した。

堀竜一氏の発表は、大岡昇平の『事件』を取り上げ、裁判小説生成の過程を辿りつつ、証言の真実性について考察しようとしたものである。まず、大岡文学の主流とされる『野火』『レイテ戦記』などの戦争物・戦記物、『武蔵野夫人』などの恋愛物・心理小説、『天誅組』『堺港攘夷始末』などの歴史小説と、中間小説的な推理小説群との関係を整理した。ついで、男女の恋愛、結婚、不倫(姦通)などを契機とする犯罪、捜査・逮捕、未解決事件を題材とした推理小説群から、イギリスを舞台する裁判小説群への移行の流れを辿った。一方、自ら小松川事件裁判・サド裁判などに関わることで、裁判という仕組みに興味の焦点が移ってゆく背景に着目し、その延長上に、相模野を舞台に、若い男女をめぐって発生した死亡事件を、裁判がどのように裁くかを描く「若草物語」が成立したとした。「若草物語」連載から十五年後に、大幅な書き換えを経て『事件』が成立する。推理・犯罪小説から裁判小説へ、真相の暴露から証言の真実性の検証への比重の移動に着目し、『事件』は、裁判の場における、証言と検証を重ねても真相・真実に辿り着けない/辿り着く必要がないという言語の在り方を描き出していると考察した。

今年度はさらに、北陸支部との合同研究集会に加え、シンポジウムを含め支部例会を複数回実施したい。(堀 竜一)

北陸支部 

三月五日(土)に二〇二二年度第二回例会を、北陸支部・名古屋大学(日比嘉高ゼミ・飯田祐子ゼミ)・金沢大学(杉山欣也ゼミ)合同研究会として、金沢大学サテライト・プラザ(金沢市)で開催した。

① 谷崎潤一郎の人魚表象と南洋表象における幻想性             

石田尚己(金大人間社会M2)

② 村上龍初期作品における「ドラッグ」表象──村上龍『限りなく透明に近いブルー』論

                                                                食野真太郎(名大人文M2)

③ 生殖管理の近代と〈産む〉身体の表象──『青鞜』の小説を手掛かりに

                                      Beatriz Moreira de Souza(名大人文M2)

④ 戦後期女性雑誌に見る〈アメリカ〉──雑誌『女性改造』を中心に 

                                     趙玥(金大人間社会D1)

⑤『豊饒の海』におけるアダプテーションの可能性──行定勲監督『春の雪』を中心に

                                                              山口祥也(名大人文D1)

⑥ 忘れ去られた存在とその歴史について

                                             朴成柱(名大人文D2)

⑦ 女性「闘士」の空白──干刈あがた「樹下の家族」論      

加島正浩(富山高専本郷C)

紙面の関係で一つ一つの詳細な紹介は割愛させていただくが、フレッシュで充実した発表が揃った。①は「人魚の嘆き」「肉塊」における谷崎の「人魚」「支那」「南洋」表象の植民地性を問題化、②は村上龍初期作品におけるドラッグ表象に日米関係のあり方、現実逃避の表現効果、日本のピッピー文化との相関を見る。③はエレン・ケイの母性思想紹介と相まって進展する明治政府の生殖管理に抗う女性の主体性確立の試みを『青鞜』掲載の小説作品に読み取り、④はGHQの指導で戦後復刊された雑誌『女性改造』における女性啓蒙の試みとその顛末に焦点を当てる。⑤は行定勲監督による三島『春の雪』映画化におけるアダプテーションに、三島作品をはじめとする先行テクスト由来のキャラクター・データベースにもたれながら三島作品の解体と再編を目論む試みを見て取り、⑥は北朝鮮帰国事業をめぐる帰化在日コリアン女性の葛藤を描いた深沢夏衣の七〇年代後半から八〇年代の作品に「国家に翻弄される人間」の主題を読み込む。⑦は八二年発表の干刈あがた『樹下の家族』における母の危機を分析し、本質化を避けつつ「母」の立場に立脚したフェミニズム理論構築の必要性を説く。

おしなべて、九〇年代に華々しく紹介されたカルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアル批評、ジェンダー批評の成熟を受け、若い世代が格段にレベルを上げてきていることを痛感させられた会であった。またその背景として、七本の発表が図らずもすべて女性に焦点を当てたものになったことからもうかがわれるように、従来専ら女性に押しつけられてきた再生産現場からの収奪が今日いよいよ限界に来ている(大学の存在基盤を揺るがす少子化もその現れの一つであろう)ことへの危機感があると、強く感じられた。そのような会が再生産機能を担う地方で持たれたということにも、大いなる意義を感じた。(團野光晴)

右の通り、対面開催は二〇一九年一二月の大会(於富山県南砺市)以来三年ぶりであったが、名大側から多数のご来場を賜り、北陸支部・金大側と併せ本部会場で四〇名、遠隔で一〇名近くのご参加をいただく盛況となった。発表本数もご覧の通り計七本と常にないボリュームで、充実した研究会となった。

昨年一二月二二日にZoom開催された企画委員会(支部支援班)支部長との意見交換会でも支部会活動のありかたが議論されたが、若い学徒にとって地方支部会での発表は(たとえば他大学教員の質疑や指導を得られるといったことで)よい研鑽の場となる。また地方で研究していると同一分野ひとり職場だったり、発表者が固定化したりで、研究上の刺激を得づらくなる現実がある。

北陸支部会としては、そのような意識から、オンライン併用型のコラボ開催によって支部会の活動を継続し、研究活動の活性化を図ってきたつもりである。その結果、昨秋の新潟支部会との合同大会で小川未明論を発表した金沢大学の院生が発表内容を認められ、未明生誕一四〇周年記念シンポジウムに登壇の機会を得るという、喜ばしい成果を挙げることとなった。

今回は大学院生同士の研究発表に支部会の活動が重なり、充実した研鑽と交流の機会となったことを心からうれしく思う。全国規模の学会はいずれも対面型の開催方式に戻しつつあるように思うが、上京費用もそれなりにかかり、研究費削減の進む機関に属する者の多い北陸支部としては、Zoomも併用したコラボ開催を今後も行っていくことで、研鑽と交流の場を用意していきたい。(杉山欣也)

東海支部

東海支部では、二〇二三年三月一二日(日)に名古屋大学にて二〇二二年度シンポジウム・第七三回研究会を対面・オンラインによるハイブリット方式で実施した。シンポジウムは「〈声〉の近代」とし、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのノーベル文学賞受賞、石牟礼道子、森崎和江の再評価など、「聞き書き」という営為が注目を集める機運を受け、〈声〉という視座が持つ意義が講じられた。発表の題目と概要は次の通りである。

《講演》

佐藤泉「聞き書きという境界領域 歴史と、裁判と、文学と」

《パネリスト》

細川光洋「語句の味覚、調律の愉楽──北原白秋歌集『桐の花』における〈声〉と定型」

康潤伊「届かない〈声〉を届けるために──鷺沢萠『ビューティフル・ネーム』を中心に」

髙畑早希「冷戦期の木下順二作品における〈通訳者〉──『蛙昇天』から『沖縄』まで」

佐藤氏は、歴史学・文学双方からの不信により排除されてきた「聞き書き」について、ベラルーシの作家アレクシエーヴィチを中心に、同ジャンルが抱える論点を明示した。具体的には、作家の個性の表現とされる「近代文学」に対して、「聞き書き」はモデルと書き手との共同作業であることを確認し、そこから生じる問題をアレクシエーヴィチを相手どって起こされた裁判の詳細を追うことで論究した。

細川氏は、北原白秋の第一歌集『桐の花』が、意味ではなく音としての言葉への愛着から生み出された一冊であることを踏まえ、同歌集における〈声〉と定型の問題を論じた。短歌は一瞥の下に読むこともできるが、多くの人は実際に声に出さずとも心の中で微吟し、音(声)にして詠み下す。細川氏は、そうした短歌と向き合う人の経験についても触れながら、短歌における近代とは何か議論を深めた。

康氏は、鷺沢萠の未完の作品集『ビューティフル・ネーム』に収められた「故郷の春」が聞き書きのスタイルで書かれていることに注目し、その語りの内容および意義を、「聞き書き」や個のライフストーリーといった視点を交えて読み解いた。康氏は、鷺沢萠は読誤解された、〈声〉が受け取られなかった作家であるとし、鷺沢が〈声〉を届けるために何をしたのか、具体程な作品に沿いながらの読解が示された。

高畑氏は、木下順二の戯曲を対象に、それらの作品に描かれる〈通訳者〉(「他者の声を媒介する者」)の表象について論じた。具体的には、「シベリア抑留」中に通訳を務めた男性をモデルにした『蛙昇天』を主に分析し、非対称的な権力関係が存在する場において過剰に可視化されてしまう〈通訳者〉の身体性について整理した。また、別の作品(『沖縄』)における〈通訳者〉の身体を拒む女性の描かれ方についても論点を広げた。

質疑応答の場では、文学研究では「聞き書き」の場合であっても書かれたものを対象にすることへの、困難と可能性が語られ、「文学」という概念自体を再考する機会になった。また、今回は細川氏の〈声〉による歌のよみあげがあり、同じ場で〈声〉を味わう時間の大切さを教えられ、総じて対面の再開にふさわしいシンポジウムになった。(藤田祐史)

関西支部

二〇二三年度関西支部春季大会は、五月二八日(日)に京都外国語大学を会場として、対面形式で開催された。昨年度の秋季大会は、同志社大学で行われた日本近代文学会秋季大会に合流したものだったので、今回の春季大会が支部単独としては四年ぶりの対面開催である。あわせてZoomウェビナーでのオンライン中継も行われた。

当日は「〈中島敦〉の現在とこれから」と題した特集企画で、光石亜由美氏、浅井航洋氏の司会により、中島敦文学の最前線の研究成果が発表された。

最初のボヴァ・エリオ氏の「中島敦の文学における言語と死」は、短編集『古譚』をめぐり、〈死〉の脅威に抗して、自らを無限に追い求める運命にある永遠的な言説として言語の位相を捉え、その四作品から浮かび上がる言葉と文字、ナレーションの理解などについて、主に「狐憑」を中心に考察し、「木乃伊」、「文字禍」、「山月記」へと説き及んだ。次いで、渡邊ルリ氏の「中島敦における典拠受容と創作」は、「名人伝」、「山月記」、「李陵」などの漢籍典拠(原話)との異同を詳細に検討し、それらが持つ意味を探った。また、会員外でご参加いただいた中国文学研究者の高芝麻子氏による「中島敦文庫の漢籍から考える唐人李徴」は、中島家旧蔵の漢籍中の書き入れに基づき、李徴と同時代を生きた詩人たち、詩人であるということ、中島家漢籍の読まれ方という三つの視点から、「山月記」における李徴の造形の背後にある「詩人」、ことに「唐詩人」のイメージの一端を明らかにした。各発表者の取りあげた作品に共通点があり、同時にそれぞれのアプローチの仕方が異なっていたことで、とりわけ「山月記」をめぐって多様な視点からの議論を深めることができた。

総会では、事業報告、決算報告、新役員、事業計画、予算案、役員任期の変更などの会則変更が承認された。今年度から、年額三千円の会費制がスタートしており、これを安定した軌道に乗せていくことが、これからの課題となる。

また、今年三月に、待望の電子版機関誌『関西近代文学』が創刊された。掲載論文は以下の三本で、J-STAGEに公開されている。

徐亜玲「北村透谷「宿魂鏡」における道家思想──東洋的な解脱の希求──」

古矢篤史「婦人雑誌における「銃後」言説形成と連載小説

       ──日中戦争開戦期の『主婦之友』と横光利一「春園」──」

星住優太「小島信夫「小銃」論──記憶の技法──」

これを契機として、支部会員の研究活動がより一層活発化することを期待したい。(関 肇)

関西支部では、二〇二三年一一月一二日(日)近畿大学にて秋季大会を開催いたします。自由発表(個人・パネル)を予定しております。多くの方のご参加をお待ちしております。機関誌『関西近代文学』は第二号を九月に発行、また、第三号の投稿締め切りは一一月五日です。秋季大会、及び『関西近代文学』に関する詳細につきましては、関西支部公式ブログをご覧ください。(吉川仁子)

九州支部

日本近代文学会九州支部春季大会は、二〇二三年六月一七日(土)午後と一八日(日)午前の二日間にわたって大分大学(大分市)教育学部二〇〇号教室を会場に開催された。今回も、発表者と参加者が、対面とオンラインいずれかで参加するハイブリッド開催であった。参加者は、初日と二日目で若干異なるが、いずれも四〇名弱であった

大会プログラムは次の通りである。

六月一七日

〇 藤原耕作(会場校・大分大学)開会挨拶

〇 郭瀟穎「ラフカディオ・ハーン『中国怪談集』「茶の木縁起」考──世紀転換期における精神の桃源郷としての仏教」(オンライン)

〇 桑原理恵「〈心臓〉で読み直す漱石その2」(オンライン)

〇 毛利郁子「仏訳『こころ』の特徴について──英訳『こころ』と比較して」

〇 陳竹「「小説」から「散文」へ──谷崎潤一郎「西湖の月」の中国語翻訳をめぐる諸問題」(オンライン)

〇支部総会

〇懇親会

六月一八日

〇 安河内敬太「神々の如き者たちへ──坂口安吾「真珠」及び昭和前期文学における対比的語り」

〇 鈴木優作「消費される〈天才〉〈女流〉〈新人〉──松本清張「天才画の女」論」

〇 松本常彦(九州大学)閉会の辞

初日の発表は三名がオンラインであった。前年度より発表者が増えた一因であろう。オンラインならではのトラブルもあったが、システム上の不備などではなく、運営委員会の努力でハイブリッド開催が安定してきた。

初日の発表は、受容をめぐる問いという点で通じる印象があった。ハーンの仏教受容、漱石における身体言説の受容、漱石「こころ」のフランス語訳と英訳の対比を通じた受容の様相、谷崎「西湖の月」の中国での受容など、異文化受容、国際的受容、言説間の受容などについて多様な素材と視点が提起された。

二日目は、同時代言説からの作品読解という点で通じる要素があった。従来の「十二月八日」言説の枠組みとは違う昭和前期文学の「語り」言説からの安吾「真珠」の再解釈、また一九七〇年代の美術言説を介した清張「天才画の女」読解という内容で、両者相まって同時代言説が拓く作品読解の可能性を示していた。

いずれの発表にも多くの意見が寄せられ質疑も活発であった。

支部総会では、委員の確認、次回会場、決算・予算・監査、入退会者、「近代文学論集」PDF版のインターネット公開などが議題で、いずれも原案通りに承認された。

初日には久々に懇親会も開催した。初対面の挨拶や近況報告など、新旧会員の親睦交流の一席が持てたのは何よりであった。

次回の秋季大会は一一月一八、一九日に、熊本高等専門学校八代キャンパス(八代市)を会場にハイブリッド形式で開催する。昨年度からの新学習指導要領の実施と次年度からの入試を踏まえ、「これからの「国語」と「文学」(仮題)」を大会の特集企画としている。

「近代文学論集」第四八号(二〇二三年三月発行)も予定通りに発行された。力作の論文七本と書評三本が掲載されている。具体的な目次は、支部HPを参照されたい。(松本常彦)