支部だより(2024年3月)
※不手際により公開が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
北海道支部
二〇二三年九月二三日、支部例会をオンライン開催(Zoom使用)した。タイトルと発表者は以下の通りである。
〈研究発表〉
セルがセルをまたぐとき――アニメの表現を記述する試み
石曽根 正勝
堀田善衞『路上の人』とウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
──中世ヨーロッパキリスト教世界を描く 水溜 真由美
石曽根は、セルアニメで、「空間表現」がどのように実現されているかという点を、主に宮崎駿作品を取り上げて論じた。アニメにおける運動に注目して、空間がいかに立体的に立ち上がるのかをアニメのセル画制作のプロセスから具体的に明らかにした。宮崎駿は、背景画が担保している「書き割りとしてある・遠近法」だけでは満足せず、空間を三層に切り分けて画面を構築しようとする。手前・中間・奥と三層に空間を切り分けて、その分割された空間にもとづいて運動をしかけているという。具体例として、『魔女の宅急便』より少女・キキが柵という中間物を、奥から手前へとくぐることで、空間が三層になることを示しながら、宮﨑アニメの空間表現の特徴を解説した。さらに、『となりのトトロ』終盤のネコバスが田んぼを走るシーンを示しながら、このカットも『魔女の宅急便』とはまた別の形ではあるが、複雑な三層構造になっていることを論じた。
水溜は、一三世紀前半のスペイン北東部(カタルーニャ地方)、ピレネー地方、南フランスを舞台として、中世ヨーロッパ最大の異端派として知られるカタリ派(アルビジョア派)の活動とローマ=カトリック教会によるカタリ派に対する弾圧を描いた堀田善衞『路上の人』を論じた。ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』は、一三二七年に北イタリアの修道院を舞台として発生した連続殺人事件を描いた作品であるが、その背景として、 アヴィニョン教皇庁による強権的な異端審問の動きが描かれる。この二つの作品は、舞台となる場所や時代にズレはあるものの、教会権力と異端派が鋭く対峙した中世ヨーロッパのキリスト教世界を描いている点において共通しているとして、『路上の人』が『薔薇の名前』の影響を受けて執筆された作品であることを明らかにした。修道院の描写、主要登場人物の人物像、アリストテレス『詩学』第二部をめぐる謎を中心に、両作品の共通点について考察した。さらに、『路上の人』に見られる独自の観点を、『路上の人』以外の堀田の作品もふまえながら検討した。主として、セギリウスおよびアントン・マリアによるキリスト教の人間化をめぐる闘いの背後に見られる堀田の思想を明らかにする一方で、 「浮浪の者」であるヨナが視点人物に設定されていることの意味について論じた。(押野武志)
青森支部
本支部は令和六年一月二〇日、日本近代文学会本部に対して「支部援助金の不明朗な請求に関するお詫びと青森支部の廃止について」の文書を提出いたしました。
青森支部では支部会員の名簿を本部に提出するに際し、「日本近代文学会会員名簿」を参照し「青森県内に在住する日本近代文学会会員」の氏名をもって作成するということを令和四年度まで続けていました。しかし、これは「日本近代文学会会則」の支部に関する「別則」に見られる「支部の設立に賛同する会員の名簿」という文言に違反することでした。今となっては賛同を得た会員は五名のみというのが実状です。このことに長い間気がつかず、多くの方の名義を無断で使用し、支部援助金の不明朗な請求を重ねてしまいました。
これまで賛同を得ぬまま青森支部の会員名簿に名前を載せてしまった方々には、昨年一一月に「日本近代文学会の支部援助金請求に関するお詫びについて」の文書をお送りし、お許しを請いました。好意的な御意見をお寄せくださった方そして御理解を賜りました方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
このような支部援助金の失態と支部会員の減少から、日本近代文学会本部へ青森支部の廃止を申し出るに至った次第です。北海道・東北地区合同研究集会等を通じてお世話になった皆様、本当に有り難うございました。本支部の廃止を巡って多くの方々に御迷惑をお掛けいたしますことを重ねてお詫び申し上げます。(竹浪直人)
東北支部
二〇二三年度冬季大会を、一二月二三日(土)午後、東海支部第七五回研究会と合同で開催した。東北支部は仙台市の東北大学文学部第一講義室を会場に、東海支部の名古屋会場とオンラインで結んでおこなった。
事前に会場間オンライン接続テストを行い、当日はおおむね問題なく進行できた。オンラインでは、とくに質疑の際、聞き取れるほどに鮮明な音声を拾うのが難しい。事前準備から当日の機器の調整にいたるまで、大会運営に関わってくださった両支部の皆様に感謝したい。
研究発表は、東北支部から二名、東海支部から二名、すべて大学院生の自由発表で計画され、東北支部会員の発表には東海支部のコメンテーターを、東海支部会員の発表には東北支部のコメンテーターをあてた。合同開催だからこそできる、意見交換の場とすることを期待した。それとともに、万が一発表に際して音声が聴きとりにくい場合でもコメントを準備しておいて対処しうる形を考えてのことだった。
残念なことに、東北支部の発表者1名は健康上の理由で参加が難しく辞退することになった。発表予定だったご本人がもっとも残念であったとともに、コメンテーターとして準備されていた東海支部会員の方、事前の予告で発表に興味をもっておられた方々にとっても残念なことだった。こうした事情から、当日のプログラムは次の通りとなった。
海野十三における蠅 ―生体と機械の境界撹乱―
飯野向日葵(東北大学大学院文学研究科博士課程前期1年)
コメンテーター:小松史生子(金城学院大学)
科学者の光と闇 ―森鷗外「魔睡」論―
久永うらら(金城学院大学大学院文学研究科後期課程国文学専攻1年)
コメンテーター:井上諭一(弘前学院大学)
遠藤周作の『深い河』に関するエコクリティシズム的考察
片 鐘煥(ピョン・ジョンファン 名古屋大学大学院 人文学研究科博士後期課程 1年)
コメンテーター:渡部裕太(福島工業高等専門学校)
いずれの発表においても、コメンテーターから問題設定やテクスト解釈の妥当性等々につき、鋭いまた参考になるコメントがあった。会場参加者からのオンライン上での質疑もおおむね滞りなく行うことができた。
二つの会場をオンラインでつないだ合同開催は初めてだったが、意義も課題もあった。対面で参加した者同士の間でさまざまに意見交換ができたとともに、オンラインで多様な関心や実績をもつ学生教員が集まって発表を聞き意見交換ができた。より一層オンラインの強みを活かすのであれば、特集テーマを設定し、関心や実績のある方に発表や参加を広く呼びかけるかたちもありうるかもしれない。だが、それも支部間で事前の相談や準備ができる関係があること、機器等の設備が整った会場があること、設定に通じた担当者がいることなど、条件が整わなければできない。設備に故障が生じた場合、会が成り立たなくなる危険もある。安定的に運営できる会場・設備の確保と運営実績・継承が課題になると思われた。もとより、テーマや参加者など、どのような研究の場を作りたいかに合わせて最適な開催方法を考えることが大事である。
大会当日には支部運営委員会も開催した。会計、大会、会報などの情況が報告され滞りなく運営できていることを確認した。また、次年度に向けた日程や準備などについて意見交換を行った。最新号の支部会報67号も配られた。支部の経費は「会報」発行に最も多く支出しているが、大会にはなかなか参加できない会員にも支部活動に関わってもらえる意味で、様々なテーマで多くの会員に文章を寄せてもらい誌面を賑やかにしていくことが有意義であると思われた。(山﨑義光)
新潟支部
新潟支部では、諸般の事情により、二〇二三年七月二日開催の本年度第一回支部例会以後、今日まで支部例会開催等の支部活動を行えないできた。年度内にもう一回、支部例会を開催する予定である。(堀 竜一)
北陸支部
元日の能登半島地震で北陸地方は甚大な被害を被った。亡くなられた方々に哀悼の意を表し、被災された皆様にお見舞い申し上げます。
影響は北陸支部も無縁ではない。学生の安否確認が取れるまで落ち着かない時間が続いたばかりでなく、研究室や専修図書室の復旧も必要だった。棚から落ちた書籍や棚の位置のずれを目の当たりにして、揺れの大きさを思い知らされた。授業開始後しばらくはオンラインやオンデマンド方式の利用が推奨されたが、最も被害が大きかった珠洲市に帰省していた学生のなかには、配信を滞りなく受けられる環境にないのでしばらく猶予を求める例もあった。都市部にいるとあっという間に日常に戻ったように思いがちだが、震災の影響は現在進行形で続いている。
文学に関していえば、資料の保全という大きな課題が突きつけられている。現時点では詳細についてここに記すのは控えるが、民間で所蔵されている作家資料のなかには、建物が損壊してしまい段ボールなどに収めてあった資料が濡れたり破損したりするのを応急処置で防いでおり、恒久的な管理をどうするかを検討しなければならないところがある。北陸支部としても可能な協力をいたしたいと考えている。このようなケースは把握している以外にも数多く存在すると思われる。貴重な資料をいかに保存してゆくかという重い課題を突きつけられてもいる。
支部活動については、二〇二三年三月に名古屋大学および金沢大学との合同研究会をおこなって以来、滞っているのが実状である。しかしながら、意欲的な院生たちが研鑽を積んでおり、研究発表の場をなるべく早く設けたいと考えている。(飯島洋)
東海支部
東海支部は、二〇二三年七月一日(土)に第七四回研究会および総会、また、二〇二三年一二月二三日(土)に第七五回研究会を実施した。ともにハイブリッド方式による開催となり、後者は東北支部(二〇二三年度冬季大会)との共催がかなった。各研究会における発表題目と概要は、次のとおりである。
第七四回研究会《研究発表》
○城戸美凪「吉屋信子『屋根裏の二処女』に見る、精神と身体の相克──宮本百合子『伸子』との比較から」
○安井海洋「書物の自然主義──新潮社刊徳田秋聲『黴』の判型と本文レイアウト」
○薛昇勳「坂口安吾のシュルレアリスム批判─安吾の戦後ダダイズム傾向を中心に─」
城戸氏は、吉屋信子『屋根裏の二処女』の性欲描写の特質を、宮本百合子『伸子』との対比、「変態性欲」をめぐる同時代言説への目配りをとおして検討した。そして、対象作には女性同性愛における精神と肉体との結合が見届けられる点をもって、作者の試みを意義づけた。
安井氏は、徳田秋聲『黴』の新潮社版単行本の形態(菊半截判、本文レイアウト)を俎上に載せ、造本のありようが近代的であるがゆえに、近世文芸との切断を図った自然主義に相応しい書物たりえていたことを指摘した。また、購買層の問題から、新潮社の出版戦略について論及した。
薛氏は、坂口安吾「安吾巷談 教祖展覧会」に見られるシュルレアリスム批判の内実を探り、その根底にダダイズムの傾向を看取した。一方で、安吾が独自の芸術観を提示している事実にも注意を喚起することにより、ダダイズムとの一面的ではない関わりを浮き彫りにした。
第七五回研究会《研究発表》
○飯野向日葵「海野十三における蠅―生体と機械の境界撹乱―」
○久永うらら「科学者の光と闇――森鷗外「魔睡」論――」
○片鐘煥「遠藤周作の『深い河』に関するエコクリティシズム的考察」
飯野氏は、海野十三の小説に描かれる蠅のありようを論点に据え、「蠅」、「俘囚」、「蠅男」等の関連性を探りつつ、生体と機械との境界を撹乱させる存在としての様態を析出した。その考察を通じ、海野作品に内在する科学技術や人間に対しての批評性を照らし出した。
久永氏は、森鷗外「魔睡」を取り上げ、テクストを支える間接的催眠術の構図に光を当てた。そのうえで当時の医科学言説を視野に入れ、催眠術に対する同時代の二面的な関心が、表裏一体と見なせるふたりの科学者それぞれの二面性を浮き彫りにする事態を明らかにした。
片氏は、遠藤周作『深い河』をエコクリティシズムの観点から分析し、登場人物と自然描写(とりわけ、河)との関わりについて論じるとともに、「宗教多元主義」的要素が内包されている点に小説の特質を求めた。さらに、晩年の作家が追求したテーマについて論及した。
このたびの東北支部との合同開催は、活動の拠点を異にする研究者同士のつながりを広げる大変有意義な機会となった。今後の支部活動をより充実させるひとつの手立てとして、他支部と積極的に連携を図ることの重要性が実感された次第である。(吉田遼人)
関西支部
関西支部では今年度から、春季大会に特集などの企画を組み、秋季大会は自由発表とする方針で運営を進めている。二〇二三年度秋季大会は、一一月一二日(日)に近畿大学を会場として、対面形式で開催された。幸いなことに自由発表の応募が多数あり、できるかぎり発表の機会を確保するために、当日は午前一〇時に開場し、夕方にかけて計六本の研究発表が行われた。今回の発表者と発表題目は、以下のとおり。
吉井美稀「小杉天外「魔風恋風」論──「女学生」をめぐる言説の変遷と立身出世──」
佐々木梓「批評の萌芽──小林秀雄「からくり」論──」
霍思静「三島由紀夫「火宅」論──占領期の言語空間を背景に──」
福田涼「三島由紀夫「貴顕」論──ペイター受容と「肖像画」をめぐって──」
長澤拓哉「安部公房『砂の女』論──変革する「砂」──」
太田帆南「筒井康隆と演劇的小説──短篇「家族場面」分析から見えるもの──」
いずれも次世代を担う若い研究者の新しい切り口による熱のこもった発表であり、来場者との間で活発な質疑応答が交わされた。会場での参加者は約七〇名にのぼり、発表者と同世代の若手がとくに多かったのが、何よりの収獲だった。Zoomウェビナーでのオンライン中継も行われ、あわせて一〇〇名程度の参加があった。
学会活動を盛りあげていくには、若手の育成が喫緊の課題であることはいうまでもない。その意味で、自由発表の場は、各自が取り組んでいる研究テーマについて、自由に思う存分に披露し、その成果を広く公開するための重要な役割を担っている。その機会を今後もできるかぎり多く提供できるように努めたい。もちろん発表内容をさらに有意義なものにするためには、それに適切なコメントやアドバイスを加える会場の参加者による支えが不可欠であり、多数の方の来場を俟つところも大きい。また、年二回の支部大会は、研究発表はもとより、研究者相互の交流の場としても得がたいものであって、今後さらに交流を深める機会を用意したい。
なお、昨年九月には、電子版機関誌『関西近代文学』第二号が刊行された。掲載論文は以下の一本で、J-STAGEに公開されている。
劉夢如「寺山修司作台本「盲人書簡(上海篇)」論――言葉としての「闇」――」
支部大会での研究発表と機関誌への論文投稿が有機的に結びつき、発表から投稿へという流れが形成されることを待ち望んでいる。(関 肇)
関西支部では二〇二四年六月一日(土)に帝塚山大学東生駒キャンパスにて春季大会を開催いたします。特集企画「戦後文学をひらく」と自由発表を予定しております。詳細につきましては、関西支部公式ブログをご覧ください。多くの皆様のご参加をお待ちしております。(吉川仁子)
九州支部
日本近代文学会九州支部秋季大会は二〇二三年一一月一八(土)、一九(日)日に熊本高専八代キャンパス(熊本県八代市平山新町)の一階合同会議室で開催された。今回も対面とオンラインのハイブリッド開催で、九州支部では定着した感がある。参加者名簿では、初日は対面二二名、オンライン二九名、二日目が対面一七名、オンライン二三名であった。プログラムは次の通りである。
一一月一八日(一三時~)
〇道園達也(会場校)「開会の辞」
〇宮﨑由子(熊本県立大学院生)「芥川龍之介『上海游記』における二つの匂い」
〇シンポジウム「これからの「国語」をめぐる文学と教育」跡上史郎(熊本大学)・小川竜紀(西南学院中学・高校)・竹本寛秋(鹿児島県立短期大学)・久保田裕子(福岡教育大学)
〇臨時支部総会
〇懇親会
一一月一九日(九時三〇分~)
〇劉佳(熊本大学大学院研究生)「文学と映像の交差―映画化された『こころ』における夏目漱石原作の解体と再構築―」
〇古家敏亮(活水女子大学)「1930 年代における「転向〝後〟文学」の相貌~競技小説としての「汽車の罐焚き」~」
〇中野和典(福岡大学)「終わりなき終末―村上春樹「青が消える(Losing Blue)」論」
〇松本常彦(九州大学)「閉会の辞」
今回のシンポジウムは、二〇二二年度導入の新学習指導要領(国語)に対し、これまで日本近代文学会や日本文芸家協会の会員から示されてきた種々の危惧や懸念を再確認し、現実的対応を余儀なくされている教育現場の実態を聞くことで現時点での問題や論点を支部として共有する目的で立案した。コーディネーターの久保田裕子氏による企画趣旨の説明に続き、「文学研究者は、いかにして教育にまつわる意思決定に関与すべきか?」(跡上)、「高等学校における「国語」の現状といくつかの私見」(小川)、「現行の学習指導要領の問題点の整理」(竹本)の報告があり、登壇者間また会場からの質疑も交えたシンポジウムを通じて、それぞれの現場での問題の性格の差異や論点の多様性、また影響の継続性などが確認された。新学習指導要領の目的が「高大接続改革」という「一体的な改革」である以上、問題の影響は必至であり、継続的な観察と検討が必須である。なお、シンポジウムの内容は、『近代文学論集』第五〇号記念号に掲載の予定である。
個人発表も、いずれも活発な議論が交わされ、論集などでの活字化が待望される。
臨時総会では委員等の確認と交代、次年度以降の会場担当地区の確認、『近代文学論集』PDF版のインターネット公開が主な議題で、基本的に原案通りに賛成多数で可決された。次年度から、支部長は中原豊氏(中原中也記念館)、編集委員長は松下博文氏(筑紫女学園大学)、事務局は野坂昭雄氏(山口大学)に交代する。運営委員長は、コロナ禍以降ハイブリッド開催で尽力していただいた中野和典氏(福岡大学)の続投となった。感謝の一面でハイブリッドの功罪を考える一端でもある。
今年度発行の『近代文学論集』第四九号は、予定通り年度末の発行である。
次年度の春季大会は、長崎・佐賀地区の開催で具体的な会場校は調整中である。(松本常彦)