2025年度春季大会・国際研究集会 特集「海外における日本近代文学研究と翻訳の現在」
【特集の趣旨】
日本近代文学が他言語と接触するとき、必然的に「近代」という本来ならば普遍的な概念と、「日本近代」という特殊性の衝突が起きるだろう。欧米主体の日本研究ではその特殊性に注目が集まりがちだったが、「世界文学」という分析概念の浸透により、限定された地域の文学という既存の枠組みから日本文学が解放されたことで、どのような変動が生じたのだろうか。日本近代文学研究の現在地を、翻訳を視座として考えてみたい。
欧米圏における日本文学の翻訳は、主に欧米圏への紹介として進められてきた。オリエンタリズム的まなざしで日本をみる欧米圏の欲望に対し、お土産として縮緬本が用いられたり、末松謙澄による『源氏物語』の翻訳が行われたりしたことなどに、脱亜入欧をもくろむ日本の欲望との交差をみることができる。
他方、日本文学の翻訳には帝国日本のアジア侵略に関わる側面も存在する。欧米圏ではイデオロギーを媒介として、同時代文学としてのプロレタリア文学の翻訳・紹介が行われたが、植民地朝鮮にもプロレタリア文学・文化運動が持ち込まれている。また、プロパガンダとして火野葦平『麦と兵隊』が各国語に翻訳がなされるなど、帝国の欲望の象徴としての翻訳もある。その一方、発禁となった石川達三「生きてゐる兵隊」が中国語訳により日本軍の非道を世界的に告発するものともなった。さらに交戦国においては軍事戦略として日本研究が実施されるなど、翻訳と研究、支配の権力関係への再考が求められよう。アメリカの海軍日本語学校で日本語を学んだD・キーンやE・サイデンステッカーらの存在は、戦後クノップフ社を舞台とした三島由紀夫、川端康成らの翻訳事業に繋がる。フォード財団を基盤として東西冷戦を背景とした翻訳事業は、戦後における地域研究のひとつとしての日本研究が世界的に推進されるきっかけとなった。
1980年代以降、村上春樹が世界的なブームになったことで、日本という国家を前提としない「世界文学」としての研究的視座が見出されるようになった。2002年に創設された文化庁主催の「現代日本文学の翻訳・普及事業」(Japanese Literature Publishing Project)や国際交流基金による出版助成先からは、アジア、欧州、中東、アフリカ等への日本文学の翻訳状況が看取でき、日本研究と共に翻訳への資金援助がなされている。同時に、経済産業省のクールジャパンに代表されるソフトパワーとしてのマンガ・アニメといった大衆文化人気は、濃淡はあるものの、現在の日本研究でも根強いものだ。そして、近年では英語圏における村田沙耶香や川上未映子など、女性作家作品の翻訳の躍進がある。柳美里『JR上野公園口』、多和田葉子『献灯使』の翻訳が全米図書賞を受賞したことは記憶に新しく、小川洋子も候補に挙がった。文化研究への目配りをより意識したRoutledge Handbook of Modern Japanese Literature (2016)のように、キーンのDawn to the Westに代わる新たな入門書も刊行されるなど、研究の転換も顕著だ。こうした翻訳や研究の転換について、英語帝国主義に陥らない視点から問う必要がある。本特集では、日本近代文学/日本近代文学研究をトランスナショナルな視点から捉え直してみたい。
(運営委員会)