支部だより(2025年3月)

北海道支部

◎九月七日、支部例会をオンライン開催(ZOOM使用)した。タイトルと発表者は以下の通りである。
 〈研究発表〉
怪異空間と暗合/暗号――綾辻行人『霧越邸殺人事件』論         宮﨑 遼河
超てんちゃんはなぜ「インタネットエンジェル」になれるのか?
  ――宗教的表現から見る『NEEDY GIRL OVERDOSE』          徐 茹薏
 宮﨑は、綾辻行人『霧越邸殺人事件』で描かれるのは、「謎―論理的解明」という「本格ミステリ」の構造に則した真相究明の物語だけでなく、怪異現象の連続によって幻想性が物語世界内の現実を塗り替えていく過程であるという。本作を基点として本格ミステリで舞台に選ばれることの多い館という「場」にどのような力学が働き、いかにして怪異と人間に作用しているのかを探る。館という怪異空間の様相とそこで示される暗合/暗号の連関を中心に、本格ミステリの構造的問題と照らし合わせつつ検討しながら、見えない探偵による「作者―読者」のレベルの侵犯についても触れ、本作の発表と前後して現れた一九九〇年代以降の「特殊設定ミステリ」に登場する超能力探偵などとの比較を通して分析していく必要を指摘する。本作は、怪異空間に顕れる幽玄の引力と、館の意思を受容する人間の心理状態の変化に迫った本格ミステリの実作であり、綾辻は本作で、「鏡」としての機能を館に持たせ、感化された者の欲望を増幅させることで、その欲望を動機とした犯行を描出する実験に成功したと結論づけた。
 徐は、美少女ゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』の特質を分析し、このゲームが持つ心理的な癒し効果について論じた。一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、「電波系」という日本特有のサブカルチャーが台頭し、美少女ゲームの分野で大きな影響力を持った。二〇二二年に発売された本作を、この「電波系」と現代の「メンヘラ」文化を融合させたものと捉え、デジタルゲームのもつ疑似的な宗教実践の有り様に迫ろうとした。ゲームの特性とテクノロジー、狂気、宗教、彼岸世界の概念が交錯する独特の「宗教的・超越的」な表現を探りながら、視点キャラクター(アバター)を心の防衛機制として捉え、ゲーム内の宗教表現や狂気表現が安全な擬似体験として機能する仕組みを考察した。これにより、プレイヤーがゲームを通じてストレス軽減や心の癒しを得る過程を理解することができるとした。電波系美少女ゲームにおける心の癒しの構造を手掛かりとして、これらの文化現象が若者(特に女性)のアイデンティティの確立や心の癒しに対してどのような効果をもたらすのかについて発展的に論じた。(押野武志)

東北支部

 2024年度冬季大会を、12月14日(土)午後、仙台市の東北大学文学部を会場に、オンラインとの併用でおこなった。「ポップカルチャー」を特集テーマとし、研究発表と講演、トークセッションを行った。会場に30数名、オンラインで5名余の参加があった。
(研究発表)
 國部友弘氏「ポップカルチャーのエピステーメー ――データベース・構造主義・生成AI」
(講演)
 久米依子氏「2010~20年代のライトノベル ――異世界転生からケアする男子へ」
(トークセッション)
 久米氏×國部氏×茂木謙之介氏(ナビゲーター)
 國部氏の発表では、「文学」を成立させた認識の枠組みとポップカルチャー現象を成り立たせる認識の枠組みとの違いを理論的に考究した。表現する主体に準拠した表象の独創性(オリジナリティ)において理解される「文学」に対して、データベースを範型とする要素の集積の組み合わせは単独性(シンギュラリティ)において理解されるとみる。久米依子氏の講演は、2010〜20年代のライトノベル作品を紹介しながら、異世界転生からケアする男子へと物語のモチーフが推移していることを論じた。トークセッションでは、発表、講演に対する質問のほか、「文学」と「ポップカルチャー」の関係や価値づけをどう考えるかをめぐって意見が交わされた。
 大会に先立って運営委員会が行われた。会計、大会、会報の各担当者から現況報告があった。その後、支部長、会計、会報の担当者交代について提案があり了承された。
支部の運営にあたっては、各担当者の主体的な創意を大事にすることが活性化につながる。毎度確認し、ここにも記していることだが、大会への参加が難しい会員には読みどころのある会報を届けること、大会での発表は会員の積極的な研究意思を汲みとることとともに、特集を立てて意見交換・議論の場として活性化していくことを大切にしていきたい。
(山﨑義光)

新潟支部

 新潟支部では、今年度これまで、二回支部例会を開催した。
〇第一回支部例会(八月三一日(土)午後二時〜五時、於・長岡市まちなかキャンパス401室およびオンライン)
①「語り」から考える三浦哲郎「とんかつ」―文学研究と国語科教育の接続を検討するにあたって―                   次田由梨(大阪大学大学院人文学研究科)
②村上春樹共同研究:『街とその不確かな壁』を読む
・三つの「街」の比較から―1980街、1985世界の終わり、2023街―
                           若林 敦(長岡技術科学大学)
・『街とその不確かな壁』を読む         堀口真利子(長岡工業高等専門学校)
 次田氏は、高校国語教材である三浦哲郎「とんかつ」を取りあげ、採録の変遷を踏まえ、語り手である女将の「語り」と、母親はるよの方言使用の「語り」の二点について主に分析した。はるよの人物像について方言使用の特徴を多層的に捉えて分析していくことや、地方を描く三浦の作品群の一つとして作品研究を進めていくことなど、論考を深めるための議論がなされた。
 共同研究では、前二作品との比較をふまえ、第Ⅱ・Ⅲ部の解釈を行った。若林氏は、1980街で描かれた〈古い夢〉の「予言」の物語化が2023街であるとした。「影」が現実世界に戻り、それまでの現実世界の「私」の完全な身代わりとなって生活する。子安さんはこの仮の「私」の意味を語る役割も担うとした。堀口氏は、新たに加わる登場人物の位置づけとともに、過去の「きみ」の存在と現在のコーヒーショップの彼女と「僕」との関わりを、『ノルウェイの森』(1987)の直子・緑と比較分析し、その重なりを提示した。

〇第二回支部例会(一二月二一日(土)、同上)
①「兜虫」はいつ、なぜ夏の季語に変わったのか
                  福井(中本)咲久良(新潟大学大学院博士研究員)
②山際淳司「江夏の21球」について             今野 哲(日本体育大学)
 福井氏は、今日夏の季語として定着している「兜虫」が、明治三〇年代までは秋の季語とされていたことを指摘し、「兜虫」が明治四二年に夏の季語として登場した背景には俳壇における新派の台頭があり、その流れの中で、新派の中でも日本派が「兜虫」を夏の季語として再発見したことがあると考察した。発表後の質疑においては、「兜虫」の季の秋から夏への移行と明治五年改暦の関係や、近代に季の移行した「兜虫」以外の季語と季の移行の要因や背景などについて、活発な議論が展開された。
 今野氏の発表は、日本近現代文学研究のフィールドにおいて、スポーツノンフィクションを〈試論〉として取り扱ったものであり、山際淳司の短編スポーツノンフィクション「江夏の21球」を検討対象とした。同作は、山際のスポーツノンフィクション分野での実質的なデビュー作であると同時に代表作でもある。今回は日本近現代文学研究における作品研究の手法に依拠して、1)作中における声の交錯、2)それによる出来事の複数化・不可視の部面の可視化、という点に絞って考究した。如上の1)2)が、日本のスポーツライティングにおける一つの新生面であったと評価した。
 今年度は、三月にもう一回支部例会開催を予定している。(堀竜一)

北陸支部 

 二月二日(日)に二〇二四年度大会を持った。一四時から一七時、金沢市・金沢大学金沢駅前サテライトでZoom使用によるハイブリッド形式にて開催、「短歌・俳句における当事者性と越境の問題」と題して特集を組み、三本の発表を実施した。
○北米俳壇から日本へ ――明治40年前後の俳句雑誌を中心に――    田部 知季
 田部氏は、明治40年前後にアメリカ合衆国に在住した日本人俳人たちの消息を追いつつ、日本の俳句雑誌に投稿された彼らの俳句・写生文を取り上げ、それらがアメリカという「当地」をいかに「写生」したかを分析した。『ホトトギス』及び秋田の俳誌『俳星』、埼玉の俳誌『アラレ』などにおける広瀬践楼・菅沼官召郎・藤井天彩・古谷夢拙らの俳句と写生文、及び大塚退歩の北米俳壇批評が概観され、アメリカ風俗の記載やその注釈及び英文の挿入などによってアメリカの「当地性」を「当事者」どうしとして日本在住の読者と共有しようとする試みや、そこに忍び込む差別的な眼差しなどが指摘された。
○震災の〈事実〉に短歌の〈私〉はどう関わるか ――斉藤齋藤『人の道、死ぬと町』を中心に  加島 正浩
 加島氏は、東日本大震災における被災者や死者の視点から詠まれた短歌が議論を巻き起こした現代歌人・斉藤齋藤の『人の道、死ぬと町』を取り上げ、「当事者」として他者を詠むために虚構の「わたし」を創出する斉藤の試みに焦点を当てた。他の文章からの引用も交えた長い詞書により「わたし」を「わたしたち」と拡張してその当事者責任を確定する実践、またフィクションとの接続によりあり得たかも知れない「他者」としての「わたし」を想定して今現在の「わたし」の責任を問う実践が、作者自身のために歌われるものにとどまって定型を脱し得ない短歌のエゴイズムを超える可能性を持つものとして評価された。
○岩波菊治の短歌 ――ブラジルにおけるアララギ派について       杉山 欣也
 杉山氏は、信州上諏訪出身で島木赤彦に師事した後ブラジルに渡り開拓農民となる一方、アララギ派の歌人として当地歌壇をリードした岩波菊治について、その作品における「郷愁」のモチーフを再検討し、とかく雑駁になりがちな移民文学における「郷愁」をめぐる議論に一石を投じようとした。移民にとっては病的な幻想として狂気に至りうるものでもある「郷愁」が、岩波菊治の短歌においては克服の対象として存在し、赤彦の「歌道」を受け継ぐ写生の精神を鍛え、帰郷せずブラジルで力強く生き抜かんとする「当事者」としての現実主義を招来するものであったことが、丁寧な作品分析を踏まえて示された。
 発表に対しては現地会場参加者、Zoom参加者を交えて活発な質疑応答がなされ、台湾や満州における短歌・俳句や戦後前衛短歌運動との関わり、当事者性を担うことの倫理性と希望などについて議論が深められた。当事者性は場の共有から生じ、その越境の現場でいかなる言葉が使われるかによって、ケアにも暴力にも繋がり得る可能性と危険性を併せ持つことが痛感された。SNS全盛の現代社会にも鋭い問いを投げかける会になったと思われる。
(團野光晴)

東海支部

 東海支部は、二〇二四年六月三〇日(日)に第七七回研究会および総会(ハイブリッド形式)、二〇二四年一二月一五日(日)に第七八回研究会(対面)を実施した。

第七七回研究会《研究発表》
〇勝倉明以、堺雄輝「草稿研究と国語科実践の連携の可能性──新美南吉「手袋を買いに」に着目して」
コメンテーター:鈴木彩
〇松藤梨紗「「文学」になった「女」――二階堂奥歯「八本脚の蝶」論」
コメンテーター:佐々木亜紀子
〇中村能盛「千葉治平と故郷・秋田」
コメンテーター:酒井敏
 勝倉氏、堺氏は、新美南吉「手袋を買いに」をめぐり、草稿から「最終稿」への改変によって現れた狐達の人間観の変容に焦点を当てつつ、一次資料を扱って解釈する教育実践の報告を行い、学術的視点と教育実践的視点からの授業設計の重要性を論じた。
 松藤氏は、二階堂奥歯「八本脚の蝶」をめぐり、二階堂奥歯の語りに着目したテクストの分析を行った。そこから本作の女性語りのテクストとしての問題性・批評性について考察をすすめた。
 中村氏は、戦後間もない頃の千葉治平の作品と第二次『秋田文学』の創刊に関する考察とともに、直木賞受賞後も故郷の秋田に居を構え続けながら、東北地方を紹介する旅行書籍に掲載した随筆などにも焦点を当て、千葉治平の作品の一傾向を見出していった。
 いずれの発表にも会場からさかんに意見が述べられ、またコメンテーターからの考察も意義深く、研究の更なる発展が期待できるものとなった。

第七八回研究会《研究発表》
〇市川遥「「労働者」としての兵士 プロレタリア文学における「癈兵」表象をめぐって」
コメンテーター:魏晨
〇食野真太郎「太宰治『人間失格』に見られる薬物表象の変容」
コメンテーター:黒田翔大
〇劉文超「占領とマスキュリニティの亀裂――村上龍『限りなく透明に近いブルー』を読む」
コメンテーター:広瀬正浩
 市川氏は、金子洋文「癈兵をのせた赤電車」、吉田金重「敗残者の群れ」、松山文雄「廃兵」などを取り上げ、複数の癈兵を描いた小説や詩における「労働者」としての兵士と労働者との関係性の諸相をめぐる可能性と限界について論じた。
 飯野氏は、太宰治『人間失格』の薬物表象に注目し、作中で描かれる睡眠薬やモルヒネがどのような役割を持つ存在であるのかを考察した。
 劉氏は、村上龍「限りなく透明に近いブルー」を中心に、ネイティブ男性とネイティブ女性の関係をマスキュリニティの傷と回復の視点について、また擬態(ミミクリー)をめぐるネイティブ男性と占領者男性のマスキュリニティの傷について考察した。
 別個の研究発表であったが、薬物をめぐる身体への影響という点をふまえ文学作品を読み解く点で合致しており、コメンテーターはもちろん会場参加者からのコメントも多数よせられ、意義深い研究会となった。(柳井貴士)

関西支部

 二〇二四年度関西支部秋季大会は、一一月一〇日(日)に甲南女子大学を会場として、対面とZoomウェビナーによるオンライン中継とを併用して開催した。今回は三本の自由発表が行われた。
 最初の発表は、都田康仁氏「高浜虚子「朝鮮」における文学者の想像力」で、朝鮮併合後まもなく発表された長篇小説「朝鮮」において、文学者「余」が朝鮮という土地の歴史的記憶を想起しつつ、現実とは乖離した空想をもふくらませるという二面性に注目し、語り手はそれが文学者による恣意的な営為であるという自覚的な認識をもっていたことを同時代の言説を参照しながら浮かび上がらせ、本作が有する時代と文学への批評性を明らかにした。
 次の原卓史氏「長谷川伸「荒木又右衛門」論─小説・講談の受容をめぐって─」は、同じ題材を扱った渡辺霞亭、武田仰天子、直木三十五などの小説との比較、小金井蘆洲を中心とする講談の受容について検討し、長谷川伸の「荒木又右衛門」がその成立過程で先行する言説との「闘争(アゴーン)」をくりひろげたこと、さらに又右衛門および周辺人物の描き方の独自性を考察した。
 三番目の淺岡瑠衣氏「織田作之助「女の橋」「船場の娘」「大阪の女」における架空の大阪─宗右衛門町の考察から─」は、母と娘の三部作の物語の主要な場である太左衛門橋と宗右衛門町に着目し、実際に当時の町並で生きていた人びとと作中の小鈴と雪子を比較検討し、芸妓の養成所の役割を担っていた大和屋の変化をあえて描かないことに、織田作之助の言う「架空の大阪」の特質があることを論じた。
 当日は、会場参加が六二名、オンライン参加が二〇名の盛会であった。なかでも大学院生をはじめとする若い方々が多数来場し、熱心に発表に耳を傾け、質疑応答にも積極的に加わっていたことが印象的だった。三つの発表の司会は、それぞれ山根直子氏、宮川康氏、原卓史氏が担当した。また、大会終了後には、臨時総会が開かれ、現支部長の二〇二五年度の再任が承認された。
 今回の秋季大会は、新しく導入された支部活動活性費の支給を受けて開催された。それにより購入した機材等で、オンライン中継を円滑に行うことができた。ご支援いただき、大変ありがとうございました。
 なお、電子版機関誌『関西近代文学』第四号は、昨年五月締切りで募集したが、掲載できる論文がなかったため、同一一月締切りの投稿論文の掲載誌を第四号として発行することを予定している。(関 肇)
 二〇二五年度の春季大会は、六月七日(土)に龍谷大学大宮キャンパスで、対面とオンライン中継とを併用して開催いたします。特集企画「三島由紀夫のパフォーマンス」(講演・発表)と自由発表とを予定しています。皆様の御参加をお待ちしております。なお、春季大会、『関西近代文学』に関する詳細につきましては、関西支部公式ブログを御覧ください。(永渕 朋枝)

九州支部

 日本近代文学会九州支部二〇二四年度秋季大会は、二〇二四年十一月三〇日(土)、十二月一日(日)の両日、福岡大学 (福岡市城南区七隈八丁目)の2号館2B1教室を会場として、対面とオンラインのハイブリッド形式で開催された。参加者は、一日目が対面三七名・オンライン三〇名、二日目が対面二二名・オンライン三三名であった(参加者名簿による)。
プログラムは次の通りである。
【一日目】
〇開会の辞 永井太郎(会場校・福岡大学)
〇研究発表
・中村勘太(熊本県立大学大学院生)「「范の犯罪」試論 ―志賀直哉〈妻殺し〉小説の系譜―」
・古家敏亮(活水女子大学)「自己認識と風景の発見 ―中野重治『歌のわかれ』における方法としての歩行」
・安河内敬太(福岡大学非常勤講師)「教材「赤がえる」から作品「赤蛙」へ ―島木健作「赤蛙」における倫理と曖昧さ―」
〇講演
・松本常彦(九州大学名誉教授)「光る国へ・戦間期篇」
〇臨時支部総会
【二日目】
〇研究発表
・孫平(長崎外国語大学)「1980年代の中国の法制文学雑誌と日本の推理小説について」
・桑原理恵(西南学院大学非常勤講師)「村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」試論 ―「信念」を揺るがす〈出来事〉に出会うこと、あるいは悪魔(Mephisto)と鏡の(self-portrait)あいだ―」
・中野和典(福岡大学)「問いなおされる通過儀礼 ―村上春樹「バースデイ・ガール」論」
〇閉会の辞 中原豊(支部長・中原中也記念館)
 研究発表では、中村氏が「范の犯罪」の范の語りに「自身を共感可能な存在へ変化させる性質」を見出そうとし、質疑応答では語りの構造や当時の裁判制度の変化との関連についての指摘があった。古家氏は、『歌のわかれ』の片口安吉の歩行に注目して復興期の東京の風景の変容と安吉の歩みとの間にパラレルな関係を見出し、「羅生門」との関連や金沢での空間移動の意味などについて質疑応答が交わされた。安河内氏は、昭和20~30年代の国語教科書の調査を通じて、教材化された理由を通して作品「赤蛙」を考察した。孫氏は、中国で1980年代に創刊された法制文学雑誌において取り上げられた日本の推理小説の作家や作品に着目し、今後の研究の展望を示した。桑原氏は、主に〈鏡〉の表象に注目して「タクシーに乗った吸血鬼」と「ニューヨーク炭坑の悲劇」「鏡」等との関連から隠されたモチーフを探ろうとしたが、質疑応答ではそのアプローチの仕方が問題にされた。中野氏は、「バースデイ・ガール」において〈願いごと〉の内容をあえて空所にすることで示される尊厳を通じて曖昧化した通過儀礼が活性化されていることを示した。
 松本氏の講演は、近代日本(戦間期)における電力システムの全域化と文学との関連について膨大な資料を基づいた展望を示し、新たな文学史の構築を遠望する内容であった。
 発表者・講師の年代も研究対象の時代や地域も幅広く、発表においても質疑応答においても対面とオンラインがうまく連動しており、様々な面で充実した大会であった。
(中原 豊)