2025年度秋季大会特集企画 「戦後八〇年」における戦争経験の継承可能性と不可能性
《特集の趣旨》
日本の敗戦から80年目を迎える2025年、従軍経験はもとより幼少期の空襲や疎開の記憶を保つ人々もごく少数となり、戦争経験の「記憶の時代」(成田龍一『「戦争経験」の戦後史』)はまもなく限界点に達しようとしている。この事実を受け止め、近年では当事者不在の時代に戦争経験を継承する意味とその方法が問われる一方、継承を声高に唱える過程で見過ごされた忘却による断絶が検証されてもいる。
継承すべき戦争経験とは、選択と排除からなる集合的記憶と密接に関わる。これまで人文学諸領域の研究は、加害責任を十分に論じないまま被害と犠牲の語り継ぎを再生産する「八月ジャーナリズム」が構築した戦後日本の「建国神話」を批判的に検討してきた。そのような「神話」を解体するために、日本の敗戦が誰にとってのいかなる敗北であったかを再構築する試みは、今日の文学研究においても一定の成果を収めている。
一方でそのような集合的記憶も、当事者不在の時代には新たな変容の局面を迎えるであろう。長く解体すべきと見做された「建国神話」は、それを支える当事者の不在により自壊するのであろうか。それとも直接的な経験と切り離されたまさしく「神話」として一層純化するのか。戦後80年とは「記憶の時代」の終焉後を見据え、従来の問題意識と方法論を批判的に検証すべき節目であると言える。
ナショナリズムとも容易に結びつく「われわれ」の記憶の力学に抗うためには、個人の語りという小さな歴史に注目し、大きな歴史の物語を問い直す視点が有効である。そのために日記、作文、書簡、手記、回顧録、自伝などの個人文書(いわゆる「エゴ・ドキュメント」)の可能性を探るのは狭義の学術研究だけではない。日本放送協会(NHK)が2021年度から五カ年計画で制作するシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」では、「歴史研究のラストピース」である「エゴ・ドキュメント」の蒐集と分析に基づき「歴史の大きなうねりを『個の視点』で『複眼的』に」捉え直すと謳われた(同企画「報道資料」)。同様に、個人の記録と記憶に着目した芸術実践や博物館展示、民間の事業活動は、学術研究に再考を促す斬新な成果を生んでいる。
このような動向にあって、作品の「自己語り」分析の方法を長年にわたり練磨してきた文学研究は、戦争に関わる文学的言説および広く一般的な言説を対象として、「われわれ」の物語に収斂しない個人の語りの意義を明らかにし、小さな歴史に着目する諸領域の研究を牽引できる立場にあるとも言えよう。
今日の世界情勢に目を転じれば、戦争は国際協調を揺るがす危機的事象である。しかしメディアが発信を続ける戦争の惨禍は、世界中の人々の胸中に苦悶と憂慮を募らせながらも、慌ただしい日常の中で類型化された記号として消費されてゆく。代替不能で個別的な生の実相を描き、他者の想像力と共感を喚起するものが文学だとすれば、文学研究はそのような文学とどう対峙し、戦争経験を繋ぐために何ができるであろうか。
日本の戦後80年を迎える節目の年に、戦争経験の継承可能性と不可能性をめぐる諸問題を共有し、戦争と文学の関係を追究する新たな足がかりとなることを目指して、本企画を提案する。
(運営委員会)
《報告要旨》
現代日本の映画・アニメ・小説における戦争表象——とくに高橋弘希「指の骨」と砂川文次「小隊」に着目して
山本昭宏
報告者の目標は「現代(日本)の戦争認識」の構造を記述することにあり、本報告はそのための試論である。報告は二部構成。第一部では、近年のアニメ『風立ちぬ』(宮﨑駿監督、2013年)、『永遠の0』(山崎貴監督、2013年。原作は2006年に刊行された百田尚樹の同名小説)、『アルキメデスの大戦』(山崎貴監督、2019年。原作は2015年から2023年に連載されていた三田紀房による同名漫画)を取り上げて、適宜過去の戦争表象と比較しつつ、戦争表象の現代的特徴と呼びうるであろうふたつの要素「操作可能なイデオロギー」と「共感のテクノロジー」を抽出する。そのうえで、ふたつの要素の背景を同時代の他の現象と関連付けながら、現代社会論として仮説的に提示する。次に第二部において、高橋弘希「指の骨」(『新潮』2014年年11月号)と砂川文次「小隊」(『文学界』2020年9月号)の戦争表象を分析し、第一部の議論との連続・非連続を検証する。なお、「指の骨」については挙示されている参考文献がいかに使用されているのかについても分析する。これらの作業を通して、現代のアニメ・映画・小説を横断して指摘できる戦争表象を取り出し、それについての意味論を展開したい。なお、本報告が取り上げる作品は、ほとんどが2011年の東日本大震災後の作品である。大震災に加えて、震災前から日本社会の課題であり続ける格差社会論が、戦争表象にいかに作用したと言えるのか(あるいは言えないのか)という点についても、考察する。
距離と感応——「ポスト冷戦」期戦争小説論に向けて
五味渕典嗣
趣意文の後半では、①この間の報道・言論メディアは現在進行形の戦争や暴力をどう伝えてきたのか、②それに対して日本語の文学表現はこの主題について何を・どのように語ってきたのか、③文学の研究者たちは、そうした表現者たちの実践をどう受け止めてきたのかという三つの問いが提起されたように思う。いずれも重たい課題だが、本報告では「ポスト冷戦」期、とくに2000年代の戦争小説と関連言説を取り上げることで応答を試みたい。
戦後日本の「平和主義」が、東西冷戦体制下の米国の対アジア戦略という歴史的条件と不可分だったことは多くの指摘がある。実際に日本政府は1990年代以降、一貫して敗戦後の軍事や戦争にかかわる歯止めを解除し続けてきた。では、こうした構造変動は、日本語の文学表現における「平和と戦争」の語りにどんな影響を及ぼしたのか。そう考えたときに興味深いのは、とくに2001年の米国同時多発テロとアフガニスタン戦争以後、描かれた人物たちの日常と戦争・戦場とのつながり/かかわりを問題化する作品が複数登場していることだ。奥泉光『バナールな現象』(1994)を先駆とし、リービ英雄『千々にくだけて』(2005)、三崎亜記『となり町戦争』(2005)、岡田利規『三月の5日間』(小説版2007)とつながる系譜である。小説ではないが、小林エリカ『空爆の日に会いましょう』(2002)のパフォーマンスにも同様の問題意識が観取できる。
これまで研究の場面では、しばしば「戦争はどう語られてきたか」という問いが立てられてきた。しかし、この世界で行使されている軍事的暴力のうち、いつ・誰の・どのような暴力が「戦争」と名付けられるかは言説とメディアの政治によって決定されている。そのことも念頭に、「戦争と日常との関係がどのように語られてきたか」という角度から、「ポスト冷戦」期の戦争表現を批判的に読み直す可能性を探ってみたい。
植民地の時間と記憶——金石範・金泰生・在日朝鮮女性たちの「戦争」
宋恵媛
本報告では、日本の戦争言説が構築してきた「朝鮮人犠牲者」像を再検討し、戦後日本に存在してきた未統合の「戦争」の語りと、そこにみられるあいまいな時間軸について考察する。分析対象とするテクストは、金石範(キム・ソクポム)と金泰生(キム・テセン)の文学作品、そして在日朝鮮人女性たちの証言や作文である。
日本において戦争記憶は、戦地での戦闘や飢餓、空襲、被爆による大量死と強く結びつけられる傾向がある。朝鮮人を語る際にも、徴用工や「慰安婦」、軍人・軍属としての戦時動員、あるいは被爆といったアジア・太平洋戦争期の出来事に焦点が当てられてきた。
しかし、朝鮮人にとっての「戦争」経験はこの時期の直接的暴力にとどまらない。朝鮮人たちの死は、貧困、無教育、移動、差別、病といった植民地支配に起因する長期的な「構造的暴力」とも深く結びついていたからである。日本の「終戦」も、朝鮮人にとっては新たな戦争の始まりにすぎなかった。
1925年生まれの金石範と金泰生は、朝鮮人を対象に実施された徴兵制(1944~1945年)の稀有な当事者である。だが彼らの作品においては、日本の敗戦や朝鮮の「八一五解放」(金石範)が大きな部分を占めなかった。金泰生は同時代の名もなき人々の不条理な死を丹念に記録し、金石範は1948年の済州島「四・三」事件を現在も書き続けている。
また、在日朝鮮女性たちの証言や作文では、アジア・太平洋戦争の記憶が四・三事件や朝鮮戦争の記憶と混じり合うことがある。それは、彼女たちにとって「戦争」の記憶が複数の暴力や苦難が連鎖する体験であったことを示すものである。
金泰生は1980年代半ばに日本の人々にこう問いかけた。——日本人は、戦争で死んだ自らの「祖父母兄弟姉妹」を真に悼んでいないのではないか。被害者意識を十分に持ちえていないのではないか——。日本の戦争記憶を再考する上で重要な示唆を含んでいると思われるこの言葉の意味についても検討したい。
ディスカッサント:岡真理