秋季大会個人発表要旨
泉鏡花「化⿃」における〈⾃然〉
今藤晃裕
本発表は、泉鏡花「化⿃」(『新著⽉刊』⼀⼋九七年四⽉)の同時代評を⼿がかりとして、同テクストを⼀⼋九〇年代周辺の⺠友社を中継とする⾃然をめぐる思想史の⽂脈に接続しつつ、環境詩学の視座から「化⿃」に描かれる〈⾃然〉を検討する。
「化⿃」の同時代評として、浩々歌閣(⾓⽥浩々歌客)「批評」(『国⺠之友』⼀⼋九七年四⽉)がある。⾓⽥は遅塚麗⽔「巨⼈⽯」(『国⺠之友』⼀⼋九⼆年⼀⽉)を引き合いに出しながら「化⿃」を「⼈寰に失意なる境界の⼈の⾃然(⼦チユアー)にあくがるゝ消息を描写せんとせるもの」と読み解き、繰り返しその「⾃然」描写の妙に賛辞を向けた。これまでの研究史において注⽬されてきたとは⾔い難いこの「化⿃」評だが、ワーズワースやエマーソンら英⽶ロマン主義⽂学における⾃然が同時代の⽇本に受容される際に、⺠友社が重要な位置を占めたことを考慮すれば、このような⾓⽥の評は⺠友社系作家が⻄洋的⾃然観への回路を同時代の⼩説に⾒いだした⼀例とも捉えられる。このような視⾓からアプローチすることで、⾃然を描くテクストとして「化⿃」のロマン主義的側⾯を照射することができるだろう。しかし本発表は、このようなロマン主義的読解を辿りつつも、「化⿃」で描かれる〈⾃然〉が、慰撫や調和、理想化といったロマン主義のフレームを不穏に内破してゆく様相を論じてゆく。このとき〈⾃然〉は、安楽の場などではなく、⼈々をとりまき、⼈間/⾃然の境界を揺るがす「アンビエント」(ティモシー・モートン)な感覚として再定位されるだろう。「化⿃」における幻想性の⼀端は、⼈間/⾃然の境界の破れや恍惚と脅威のはざまから浸潤する、他者としての〈⾃然〉に求められるのではないだろうか。以上のように本発表では、⾃然が〈発⾒〉され、その制度化の進む明治⽇本において、⾃然表象のもうひとつの可能性をひらくものとして「化⿃」の〈⾃然〉を提⽰することを試みたい。
宿命と心中の構造――泉鏡花『湯島詣』における『源氏物語』の構造と展開の摂取
周佳正
本発表では、泉鏡花が初めて芸者を題材として創作した小説『湯島詣』(明治三二年)を取り上げ、明治二十年代における心中小説ブームを背景に、『源氏物語』との関連からその物語構造と展開を検討する。
明治十年代における近松門左衛門再評価と北村透谷の情死論の影響を受け、心中小説ブームが形成された。この文脈において、『湯島詣』に内在する平安物語文学的構造は看過されてきた。本作では、神月の友人たちが女性を品定めする場面、神月と龍子夫人の冷淡な夫婦関係、神月が亡母の面影を芸者蝶吉に重ね執着する心理、そして湯島天神下での蝶吉との運命的な再会などの設定が描かれる。これらは『源氏物語』における「雨夜の品定め」(「帚木」)、源氏と葵上の冷めた夫婦関係(「葵」)、藤壺への源氏の執念(「賢木」)、須磨流謫後の明石の君との邂逅(「須磨」・「明石」)、住吉大社の神助(「澪標」)という構造に対応している。人物配置においても、神月梓は源氏、龍子夫人は葵上・六条御息所、蝶吉は若紫・明石の君と重ねることが可能である。
従来、同時代作品との類似や模倣をもって位置づけられて、鏡花自身の実体験や「写実的」とされた文体への評価が先行したため、本作は近代的写実主義や江戸心中文学の延長としてのみ捉えられてきた。しかし、本発表では、神月が亡母の面影を蝶吉に重ねる心理が、源氏が亡母への面影を藤壺と若紫に転移させる心理構造、および湯島天神・住吉大社の霊験譚的な構造を再生したものと具体的に示した。『湯島詣』の心中は単なる社会的・写実的動機による心中ではなく、個人の意志を超えた宿命によって必然的に導かれるものとして描かれることが明らかになる。これを通じて、『湯島詣』が果たした役割を、明治期心中小説の範疇を超え、平安物語文学と対話する可能性を検討し、鏡花の悲恋小説創作方法を探求したい。
利権を放棄する帝王――押川春浪口述「大蛮同盟」(『冒険世界』掲載)の結末――
武田悠希
本発表では、同時代の日本の植民地主義をめぐる言説との比較を通じて、押川春浪作品に描かれた、植民地支配からの解放を成しえた後に利権を放棄する日本人の姿が、日本の民地支配の行く末に対する懐疑を呼び込む表現になりえていることを検証する。
これまでも、押川春浪の代表作とされる『海底軍艦』シリーズの内容が、西欧列強による植民地支配への抵抗や、解放への希求に端を発するものであることは指摘されてきた(池田浩士ほか)。しかしながら、日本の植民地主義をどう描いたかという点については、東亜共栄圏につながる思想を先取りし、海外進出政策に同意する内容であったと見なさるにとどまっている。
そこで、『海底軍艦』シリーズとは別作品ながら、「白色人種」に対抗するための勢力を築く過程を描いたという点で、類似した内容を持つ「大蛮同盟」の結末に注目する。本作は、韓国併合の翌年一九一一年四月に押川春浪による口述を筆記した形で雑誌『冒険世界』に掲載された作品である。
『海底軍艦』シリーズでは、強力な兵器を手にした日本人がフイリピン独立運動の一派を仲間に加え、東洋に平和をもたらすために、西欧列強に対抗する強大な勢力として成長していく過程が描かれる。ただし、武力を手にしてロシア艦隊を撃沈したこの勢力がその後どうなったかについては描かれない。それに対し、「大蛮同盟」は、日本人率いる勢力が「白色人種」を完全に打ち負かした地点を描いている。その結末は、多様な有色人種から成る「大蛮同盟」の盟主である日本人が、圧倒的な兵力で欧米の都市を壊滅させた後、兵器をすべて破壊し、帝王の位を捨てるというものである。
韓国併合をめぐって、日本の植民地支配の是非や方向性が議論されている時間軸において、すべてを手にした日本人が利権から手を引くという結末は日本の植民地主義に対する懐疑を提示しているとも読み取ることができる。
芥川龍之介から堀辰雄へ:「マリヤのお告げ」等の芥川・堀旧蔵書から紐解く
澤西祐典
本発表では、神奈川近代文学館に所蔵されている堀辰雄旧蔵書(堀辰雄文庫)に確認できる芥川旧蔵書を手掛かりに、芥川龍之介から堀辰雄への影響を再検討する。芥川龍之介と堀辰雄の交流は、芥川が「あなたの捉へ得たものをはなさずに、そのままずんずんお進みなさい」(1923年11月18日付け)と堀に書簡を送ったところから真に始まったとされる。この有名な書簡には二伸が付されており、そこには「なほわたしの書架にある本で読みたい本があれば御使ひなさい」と、芥川の書架への立ち入りを許す文言が含まれている。また、堀辰雄の随筆「プルウスト雑記 神西清に」(1932) や「「スタヴロギンの告白」の訳者に」(1934)には、堀が芥川の書架に出入りする様子や芥川没後に旧蔵書を整理する様が記されている。加えて「聖家族」(1930)には、芥川をモデルとする九鬼の旧蔵書を扁理(堀)が売り払ったとするエピソードも登場している。
神奈川近代文学館の堀辰雄文庫には現在、芥川の旧蔵書と考えられる洋書が、少なくとも5点確認できる。(アナトール・フランス、アーネスト・ダウソン、ポール・クローデル)。その中の一冊、ポール・クローデル『マリヤのお告げ』は、堀辰雄「おもかげ」(1939)に、故人のアトリエに登場人物たちが足を踏み入れる重要なきっかけを与える書物として登場している。「死があたかも一つの季節を開いたかのやうだつた」(聖家族)として芥川の死を作品化した堀が、この書物を「おもかげ」に登場させた意味について、作品内および作者の伝記的な側面として考えてみたい。また堀の作品内で言及のある芥川旧蔵書、あるいは堀辰雄文庫にある芥川旧蔵書を辿ることで、師匠と弟子の交流の様を実証的に明らかにしていきたい。
大泉黒石「天女の幻」論――怪談実話/実話怪談の側面から――
山本歩
本発表では、大泉黒石の現代における再読価値を拓くことを目的に、「天女の幻」(大正一〇年二月)の怪談文学/怪奇文学としての重要性を主張する。黒石は『中央公論』「説苑」欄に「自叙伝」ものと呼ぶべき文章を掲載していた。だが、その掉尾となるべく「自叙伝『奥付』と説苑欄引退録」と共に発表された「天女の幻」は、 一般的な自伝ではなく実話体怪談であった。(前号までの「自叙伝」の延長として)著者本人と読み取れる「俺」が、知人の奇怪な体験談を「嘘でない」として聞き書きを遂行する。こうした同作の枠組みは、今日の所謂〈実話怪談〉に通じるものである。その成立には(近世などの遠い過去ではなく)近代を舞台とした同時代の怪奇小説や怪談実話/実話怪談の諸作が影響を与えていると考えられる。
まず、「天女の幻」の形式、すなわち〈実話怪談〉的な聞き書きスタイルに注目する。それまでの怪談実話集――東雅夫らが重要視した『不思議揃 怪談百物語』(大正二年)『廻国行脚 妖怪研究 怪談百物語』(四年)『妖怪実話』(六年)等――や、文芸誌上の怪奇実話もの、文壇人による怪談読物との比較を通し、これら怪談実話や芥川龍之介「妖婆」の方向性を発展的に継承したものとして、「天女の幻」を位置づける。
次いで、作中のドッペルゲンガー的な怪異に注目した内容分析を行う。「天女の幻」における分身表現は、他の分身物語のように内的不安を喚起するものではない。むしろ硬直した世界を打開する性質すら見せる。こうした観点から、同一人物が遍在するという〈可能性〉のモチーフや、声を保存=分身させるメディアである「蓄音機」登場の必然性、作者像を保存する「自叙伝」との親和性を指摘する。「天女の幻」は、「自叙伝『奥付』と説苑欄引退録」で宣言された作家的出発に見合う挑戦的な形式と内容を有すると共に、同時に怪談/怪奇文学史に記銘されるべき作品である。
探偵小説「黄金時代」の中で――一九三〇年前後におけるジャンルの量的拡大をめぐって
松田祥平
本発表は、戦間期における探偵小説概念の生成と変遷を辿る研究の一環として、一九三〇年前後の文学ジャーナリズムにおける探偵小説ジャンルの位置づけを探るものである。
この時期、探偵小説は『文芸年鑑』(一九三〇)において「黄金時代」と称されるほどの量的な隆盛を迎えていたのだが、その評価は主に円本ブームとの関係において論じられ、ジャンル全体の動向については未だ充分に検討されているとは言い難い。そこで本発表では、「黄金時代」とされる探偵小説の盛況を、当時の文学ジャーナリズムの諸潮流と接続しながら読み解き、文学史の一局面を浮かび上がらせることを目的とする。
一九三〇年前後における大きな文学的トピックとしては、新興芸術派の台頭が挙げられる。一般にこれはプロレタリア文学への対抗的運動として理解されているが、両者はいずれも都市生活の近代化や現代風俗への関心を共有しており、それを反映するような文学的表現を模索してもいた。また、両者に限らず、この時期の文学ジャーナリズムにおいては、「テンポ」「スピード」「機械」「科学」など、近代的な都市生活を特徴づける諸要素を文学にいかにして取り込むべきかが盛んに論じられたのである。このような背景のもとで、都市を舞台とし、推理という科学的思考を基軸とする探偵小説が注目されるのは必然ともいえる。実際、探偵小説は大きな関心を集め、専門の作家にとどまらず、多くの作家たちがジャンルについて論じ、作品を発表した。探偵小説は時代の関心を内包したジャンルとして機能し、文学ジャーナリズムにおいて特筆すべき盛り上がりを見せたのである。
本発表では、こうした時代的文脈を踏まえつつ、同時期の出版メディアにおける探偵小説やジャンルにかかわる言説を分析対象とし、その文学的展開の内実を明らかにすることを試みる。
民間伝承を推理する――松本清張「Dの複合」とその周辺
宮﨑遼河
古代史への憧憬や旅を通した推理の物語は松本清張によって繰り返し描かれてきた。長編小説「Dの複合」(『宝石』一九六五・一〇~一九六八・三)もそうした推理小説の一つである。売れない作家・伊瀬忠隆と編集者の浜中三夫が紀行文の雑誌連載に向けた取材をともにする中で複数の事件に遭遇し、それらが民間伝承と奇妙な符合を見せていく。しかし、事件の真相は全て最終章における手紙の中で語られ、伊瀬による推理は完遂されずに物語は結ばれる。先行研究では、本作に描かれる事件の構造に着目するものが中心を占め、過去と現在の旅路という視点からの分析がなされてきた一方で、推理小説としての探偵役とその探偵行為、そして民間伝承を推理する意義については閑却されてきた。とりわけ探偵が推理し、事件を追えば追うほど真相から遠のいていく点は今一度検討する必要があるだろう。
本発表の目的は、民間伝承と(作中時間の)現在の事件とを重ね合わせて行われる伊瀬の推理の特質について、作中に登場する「浦島伝説」や「羽衣伝説」、および推理それ自体の挫折をもとに探ることにある。横溝正史「悪魔の手毬唄」(『宝石』一九五七・八~一九五九・一)など、民間伝承は清張以前のミステリ作品にも「見立て」として援用され、推理のミスリードを誘う役割を果たしてきた。だが、本作ではそれ以上の効果、リアリズムの文法に則った人間存在の孤独の描出をねらって語られているようにも思われる。すなわち犯人の復讐劇の背景にある過去の事件のみならず、探偵役が独力で真相にたどり着けない物語としても表象されているのではないか。
したがって、本発表では、『火の路』(上下巻、一九七五・一一~一九七五・一二、文藝春秋)をはじめ、民俗学的・考古学的言説を踏まえた清張の推理小説作品との比較も適宜行いつつ、「Dの複合」の探偵行為の意義を捉え直すことで清張文学における位置付けを探ってみたい。
「還元」されたオマージュ――夏樹静子『Wの悲劇』英訳におけるオリエンタリズムの両面性
肖瀟
『Wの悲劇』は英訳の後、独訳・仏訳も出版され、1989年『第三の女』のフランス犯罪小説大賞受賞につながる夏樹の評価を生み出した。これら夏樹静子作品の海外出版は、後続の日本女性作家によるミステリー作品の国際的展開の契機となった。本発表では『Wの悲劇』を対象に、欧米ミステリーヘのオマージュの在り方を踏まえつつ、その翻訳・出版過程においていかにオリエンタリズム的改変が加えられ、いかなる形でイメージが再生産されたのかを検証する。
『Wの悲劇』は、エラリー・クイーンによる『X・Y・Zの悲劇』シリーズのオマージュ(日本推理作家協会会報2016年4月)であるが、アメリカでの翻訳・出版過程においてオリエンタリズム的要素が加えられ、「日本情緒」(山前譲、2007年)を備えた作品として再構築されたという独自の特徴を持つ。
1981年、夏樹は世界推理作家会議に日本代表として出席し、その帰途で親交のあったダネイ(クイーンの一人)に小説のプロットに関する提案を受け、『Wの悲劇』を執筆した。しかし、そのアメリカ出版に際しては交渉が難航し、出版社からは「物語に我が国との接点を設ける必要がある」、「なるベく日本情緒を加味してほしい」(山前譲、2007年)といった要請があった。「妥協」として、夏樹は探偵役の主人公をアメリカ人女性に変更し、タイトルもMurder at Mt.Fujiと改題した(朝日新聞1990年4月10日)。さらに、Murder at Mt.Fujiを底本として翻訳された独訳および仏訳語版においても、英訳において付与されたオリエンタリズム的要素や構造がそのまま再生産された。
日本ミステリーの受容研究では、主に乱歩や清張などの男性作家に焦点が当てられおり、女性作家作品の分析は少ない。本発表では『Wの悲劇』を中心に、その翻訳・出版過程における「妥協」の両面性を明らかにした上で、80年代以降に英訳された日本女性ミステリー作品を参照し、日本女性ミステリーの海外受容の動向を検討する。
小松清『仏印への途』――植民地表象と語りの戦略
岡野有吾
本発表の目的は、翻訳家・評論家の小松清(一九〇〇-一九六二)によるルポルタージュ『仏印への途』(六興商会出版部、一九四一年)を取り上げ、同時代言説と比較しつつ、小松の仏印に対する意識を明らかにすることである。
本テクストは、小松が一九四一年四月から七月頃にかけて、フランス領インドシナ(仏印)を訪問した経験をもとに執筆された、紀行・論考の集成である。日本軍の南部仏印進駐の直前の時期に書かれ、刊行日は対英米開戦直後の一九四一年一二月一三日であることからも、本書が「文化工作」と連動した帝国的言説の一端として位置づけられることは明らかである。
確かに、小松が「安南」文化を民族心理の観点から高く評価していることは、仏印(とりわけ「安南」)をフランスの植民地支配から「救済」すべき対象とみなす視線、すなわち帝国日本のナショナリズムを内面化した言説とも結びついていると読み取れる。一方で、そのような「安南」文化への肯定的な評価は、資源偏重の南進論的言説とは一線を画している。
また、本テクストの、仏印における日本人・フランス人・現地住民の関係をめぐる描写には、植民地社会の二重支配構造のもとで交錯する相互の心情や利害の機微が細やかに記されている。さらに小松は、当時広まっていた資源豊富で明るい南方というイメージとは異なり、熱帯気候の過酷さや病の脅威など、仏印の厳しさを繰り返し描く。これらは端的な帝国的言説を超えるものとしての同テクストのあり方を示している。
本発表では、こうした『仏印への途』の細部に、ポストコロニアル的視点から注目するとともに、林芙美子ら同時代の東南アジアを訪問した徴用作家らと比較を行う。
『部落解放詩集』をめぐる運動と表現の力学 ――被差別部落女性たちの「対抗的な公共圏」の形成――
後藤田和
本発表では、一九八〇年八月に解放出版社より刊行された『部落解放詩集 太陽もおれたちのものではないか』および一九九四年八月に同社より刊行された『詩集 風吹きあがる』の二詩集における被差別部落女性たちの表現を分析対象とし、七〇年代後半から九〇年代前半までにおける部落解放運動とどのような関わりを持ちながら、詩が生み出され、詩集が編纂されていったのかを明らかにすることを目的とする。
これらの詩集は、当時部落解放同盟中央本部の文化対策部長だった寺本知を代表とする編集委員会が、主に一九七四年に設立された部落解放文学賞の詩部門に投稿された作品を選定し、編纂された。特に注目すべきは詩集に掲載された作者の男女比である。一九八〇年版では、男性が二九名に対して女性が五三名、一九九四年版では男性が九名に対して、女性が二八名となっており、それは部落解放文学賞の詩部門入選者の男女比も同様のことがいえる。当時の部落解放運動における文化活動において女性の存在は非常に重要であったにも関わらず、運動においては不可視化されてきたと言える。
こうした被差別部落女性たちの表現活動の可能性に関して、本発表では、ナンシー・フレイザーの提唱した「対抗的な公共圏」概念を手掛かりとし、分析を試みる。フレイザーはハーバマスの「公共圏」では、国家と区別されたブルジョワ男性に代表される市民だけが創り出すものとして規定されており、階級、ジェンダー、人種/エスニシティやセクシャリティなどによって排除・周縁化される人々を生み出しているという問題点を指摘し、従属的な社会集団の成員がアイデンティティ、利害関心、要求をめぐり、対抗言説を生み出していく「対抗的な公共圏」の必要性を提唱した。本発表では、フレイザーらの提起した概念をもとに、被差別部落女性たちが「対抗的な公共圏」を識字学級という場で形成したことによって生まれた表現の可能性を明らかにする。
鎌倉文庫刊『文芸往来』の同時代的意義──戦前/戦後文学の交点として
辻秀平
本発表は、出版社鎌倉文庫が最後に刊行した文芸雑誌『文芸往来』(一九四九年一月~一〇月、全九号)を取り上げ、記事の言説分析を通して雑誌の特徴と、戦後文学が確立されつつあった当時における雑誌の同時代的意義を明らかにするものである。
一九四五年五月に、久米正雄や川端康成といった鎌倉文士の作家らが設立した貸本店鎌倉文庫は、終戦直後の同年九月に出版社化し、文芸雑誌『人間』を始めとする数種類の雑誌と多数の単行本を刊行した。鎌倉文庫の雑誌は、三島由紀夫のような戦後派作家の最初期の発表の舞台にもなった『人間』を除いて、社の経営を傾けた赤字雑誌であったとされる。
近年の文学史や出版史研究の中で、四年足らずの一過性の運動とされてきた鎌倉文庫に対する評価が徐々に見直されるようになり、文壇の「再建」に鎌倉文庫が大きな役割を果たしたとする見方が示されるようになっている。こうした直近の研究史を踏まえつつ、『文芸往来』に注目すると、執筆陣や記事の内容において、その後の戦後文学への橋渡し的な役割を果たしたことが考えられる。
『文芸往来』は、編集長の巖谷大四が後年「多分に懐古的な匂いの強い雑誌」(『随筆』一九五六年七月)だったと回顧するように、執筆陣は戦前派の作家が多く、それが『近代文学』系の平田次三郎などから復古的だと批判の対象にもなった。だが創作や随筆、評論などの記事を丹念に見ていくと、こうした批判を与える戦後文学の現実を前にして、戦前派の作家たちが自己の文学をどう規定するかを模索し続けていた姿を窺うことができる。戦後派作家の党派性を批判しつつも、「文壇」の側にも批判の眼差しを向ける記事(中島健蔵「アプレ・ゲールの人たち」一九四九年四月)を始め、『文芸往来』は戦前派/戦後派双方の文壇の論理が交錯しながら新たな表現の創出を試みる場として機能したことが、雑誌の同時代的意義として指摘できるのである。
安部公房『壁』論 ――ジャンルの破壊と綜合の実践として――
芥川弘樹
安部公房『壁』(月曜書房、一九五一年五月)には、六つの短編とともに勅使河原宏の装幀や桂川寛の挿画が加えられている。先行研究で既に述べられているように、文と画が創造的な結び付きをした書物である。また、「ジャンルの破壊と綜合」というテーゼを共有した「世紀の会」での活動を通して結実した作品であることも指摘されている。
しかし、「ジャンルの破壊と綜合」というテーゼとは具体的にどういった実践だったのか、どういった意義があったのかについてはあまり注目されてこなかった。本発表では、『壁』を対象に、本文だけではなく、装幀や挿画を含めた書物そのものを分析し、「ジャンルの破壊と綜合」の実践として『壁』を捉え直すことが目的である。
『壁』における装幀や挿画は、本文の物語内容を補完するための一般的な装幀や挿画と異なり、物語内容とズレのある独立したイメージとなっている。このズレ、つまり文と画の対立こそが『壁』の表現の核心となっている。また一方、本文で見られる表現方法は装幀や挿画にも通底している。『壁』の「あとがき」に「壁」というのは方法論に他ならないとあるように、安部公房らは新しいリアリズムを追求するうえで、物語内容ではなく、「新しい方法論」の確立を重視した。そうした「新しい方法論」は、あらゆるジャンルが混在する運動体の中で醸成されていったことに注視すべきである。従来の自然主義文学的な現実認識への疑義と同様に、従来の「ジャンルの枠」への疑いも、「世紀の会」の活動に参加していた花田清輝を中心に言及されている。
以上のように、文と画の対立したテクストを差し出すことで、読者の世界観を更新する装置として『壁』が機能していることを明らかにする。また、本文と視覚的イメージの相関性から、安部公房らにおける集団制作の在り方を明示する。
「日本の精神風土」への抵抗――〈戦中派キリスト教作家〉としての遠藤周作
増田斎
本発表の目的は、一九六〇年代の戦争責任をめぐる戦後日本キリスト教界の思潮を解明した上で、遠藤周作の文学実践を、〈戦中派キリスト教作家〉による「日本の精神風土」への抵抗という観点から分析することにある。
日本のカトリック教会は、一九三二年上智大学靖国神社参拝拒否事件を契機に、神社参拝とキリスト教信仰と両立させるために「神社非宗教論」を容認する論理を立てた。「忠君愛国」の名の下に宮城遥拝や靖国神社での戦勝祈願の実施など、主流のプロテスタント教会と共に戦争協力へと傾いていった。一九六〇年代に入ると戦中派のキリスト教徒等はその経験を自己批判的に語り直し、同じ過ちを繰り返さぬようにと抵抗の意を示した。その現場が、靖国神社法案反対運動や、政教分離訴訟である。戦死者を顕彰する神社を「宗教ならざるもの」として受容することに無抵抗な、戦中/戦後の「日本の精神風土」に対し、キリスト教界から問題提起がなされてきたのである。
遠藤周作もまた、一九三五年にカトリックの洗礼を受けた、戦中派のキリスト教徒である。江戸時代のキリシタン禁教を舞台とした『沈黙』(一九六六年)にて、日本にキリスト教が根付かない理由として、汎神論的な精神風土にあるという「沼地論」を提起した背景には、戦後の同時代的課題があったのではないか。本発表では、靖国神社参拝がある種の「踏絵」として機能していた、戦中/戦後のキリスト教界の時代状況を明らかにした上で、『沈黙』の前後に発表された「札の辻」(『新潮』一九六三年一一月)や『死海のほとり』(一九七三年)に登場する靖国の描写等から、キリシタン弾圧期と戦時下日本を類比的に描く構造を分析する。そして、〈戦中派キリスト教作家〉としてどのように「日本の精神風土」に抵抗したのか、戦争の記憶を語り直す文学実践の同時代的意義について検討を試みる。
山田詠美『ベッドタイムアイズ』のヒップホップ――「黒人文化」受容と新たなウーマンリブ
西田桐子
山田詠美のデビュー小説『ベッドタイムアイズ』(一九八五)は黒人米兵と日本人の少女との性愛を書いたことで知られるが、ソウル、ジャズ、ブルースなどのさまざまな音楽が書き込まれており、最初期にヒップホップを描いた日本語小説でもある。『ベッドタイムアイズ』を音楽に着目して読むことを通して、主人公の日本人女性キムと交際するアフリカ系アメリカ人男性スプーンを、人種や国家の象徴としてではなく、「黒人文化」を表現する人物、特にヒップホップカルチャーを象徴するキャラクターとして読む可能性を探る。
山田の音楽と文学の両方を含む広範囲な「黒人文化」への憧れと傾倒は、当時のエッセイなどからも明らかである。まず音楽に関しては、山田は即時的かつ直接的な形でアメリカの音楽に触れることができる環境におり、八〇年代にはアメリカでも最新の音楽であったギングスタ・ラップ的な表現が『ベッドタイムアイズ』には散見される。本作には、「黒人文学」の影響も色濃く、山田が愛読していたアフリカ系アメリカ人の小説家ジェームズ・ボールドウィンは、名前が作中で登場するだけではなく、テーマやプロットの着想源の一つでもあった。
音楽と文学の両面から「黒人文化」受容の様相を明らかにした上で、『ベッドタイムアイズ』の音楽表象を分析していく。とりわけ、スプーンがラッパーであることに着目し、スプーンによってキムにもたらされた変化を読み解く。キムは、ラップするスプーンに教え導かれ、怒りを含むさまざまな感情を「ののしり言葉」とともに表現することで成長を遂げる。ヒップホップを通して描かれたのは、「黒人文化」を取り入れ、英語を領有し日本を相対化することによってなされる、日本人女性の新しい解放のありようと、新たな抵抗のモードである。現代にもつながるようなヒップホップ・フェミニズム的ウーマンリブの可能性を、山田は小説の形で日本社会に問うたのである。
「家族再生」と自助の力学――柳美里『命』論――
坂口綾香
本発表は柳美里『命』における「わたし」の家族制度からの排除に着目し、ケアを必要とする者同士が「家族再生」の美名のもとで自助を強いられる仕組みとその問題性を明らかにすることを目的とする。『命』(二〇〇〇)、『魂』(二〇〇一)、『生』(二〇〇一)、『声』(二〇〇二)から成る柳美里の『命』四部作は、ジャーナリストで既婚者の「彼」の子を身籠った「わたし」(「柳美里」)の出産・育児と、東京キッドブラザーズの劇作家・演出家で「わたし」と十年間生活をともにした「東由多加」の末期癌との闘病を同時進行で描く。「互いの命のために互いが必要」と語られる「わたし」・子の「丈陽」・東の三者関係は血縁や姓の同一性によらない「ポストファミリー」として評価され、本作は家族崩壊を描き続けた柳による「家族再生」の物語として受容された。
しかし本作のポストファミリーが新しい家族の形を提示し得たかどうかについては疑問が残る。担当編集者や友人の町田夫妻らによる支えを不可視化して特権化される「東由多加とわたしと丈陽の三人の家族」のイメージは、異性愛規範に基づく従来の核家族像に限りなく近いからである。
本作の独自性はむしろ、胎児認知に至るまでの経緯や、実父不在の出生届提出時に生じる「わたし」の困難を詳細に描く点にある。斎藤美奈子は『妊娠小説』(一九九四)で、「望まない妊娠」を描く小説群で出産を決めた女性は相手の男性に対して「責任をとれとはいわない」と指摘した。対して本作は、曖昧な態度をとり続ける「彼」の「醜悪さ」を追うことで、「丈陽の父親である彼」の責任を問う。加えて役所や病院で「わたし」が受ける対応は、日本の家族制度が「未婚」で「外国人」の「女性」である「わたし」をいかに排除するかを浮き彫りにしている。本作は、自助によらなければ「家族再生」がかなわない日本社会の制度的な欠陥を問題化した点で独自の批評性を有している。
⻘来有⼀「爆⼼」論――記憶の⾵景としての浦上
パラギナ・アレクサンドラ
終戦から⼋〇年を迎えた現代において、被爆体験を持たない戦後世代がいかに原爆を語りうるのかを議論するにあたり、⻘来有⼀の『爆⼼』(⽂藝春秋、⼆〇〇六年⼀⼀⽉)は、決して⾒過ごすことのできない作品である。『爆⼼』は、⻑崎の爆⼼地・浦上を舞台とする物語六篇から成り、第⼀⼋回伊藤整⽂学賞および第四三回⾕崎潤⼀郎賞を受賞するなど、⾼い評価を受けた作品である。戦後の浦上で⽣まれ育った⻘来は、その⼟地に焦点を当て、⾮体験者として原爆の記憶をキリシタン弾圧と現代とを結びつけるフィクションに取り組んでいる、独特な作家であるといっても過⾔ではない。そのような⻘来において、『爆⼼』の特殊性は、家族関係や⽣活環境、さらには原爆との関わりの程度が異なる登場⼈物たちの⽇常を描きつつ、その⼟地に潜む悲惨な記憶の痕跡と彼らを向き合わせる瞬間を軸に各短編が展開され、キリシタン迫害や原爆の記憶を現代の時空に呼び起こす点にある。
以上を踏まえて、本発表では、作中に描かれる浦上の空間が、各短編の象徴的要素によってどのように織り合わされ、またそれがキリシタン弾圧と原爆の記憶をいかに結びつけて想起させるのかという点に着⽬し、証⾔に依拠しないかたちでの記憶の継承と語りの可能性を考察する。そのためにまず、作中における浦上という空間を象徴する「釘」「⽯」「⾍」「蜜」「⾙」「⿃」という各短編の題名に込められたイメージが、作品全体の統⼀性を形づくりながら、⾔語化されていない記憶の継承の鍵としてどのように機能しているのかを読み解く。さらに、作中に構築される浦上の⾵景が、登場⼈物の⼼の揺らぎの瞬間を通して、悲惨な記憶を結びつける時空間として⽴ち現れ、「爆⼼地」の体験をいかに具体化するのかを検討する。最終的に、「場所」が共同的な想起や記憶の共有・継承を促す要素として、作品内にいかにして体験性を⽣起させるのかという点について結論付ける。