支部だより(2026年2月)

北海道支部

◎九月一三日、支部例会をオンライン開催(Google Meet使用)した。タイトルと発表者は以下の通りである。
 〈研究発表〉
アルノー・デプレシャン『あの頃エッフェル塔の下で』論
  ――「手紙」を中心に                       易 雨菱
内村鑑三「代表的日本人」と同時代の伝記                吉岡 亮
 易は、アルノー・デプレシャン『あの頃エッフェル塔の下で』の「手紙」に 関するシーンが集中する第三部を中心に分析する。デプレシャンはヌーヴェルヴァーグから深い影響を受けているが、その中でも、トリュフォーからの影響を重視する。本作においても、エステルがはじめてポールに手紙を書くときの鏡を見る姿や何度も映し出されるエステルが手紙の文面を読み上げる行為は、トリュフォーの『恋のエチュード』や『アデルの恋の物語』を想起させるという。そうした影響関係を踏まえた上で、本作の独自性を明らかにする。『恋のエ チュード』では、手紙は交流の手段として主人公とヒロインとの間に存在するが、本作では手紙の交流の機能は弱められ、本作における手紙の表現は、むしろエステルとポールを隔てるものとして機能しているという。手紙が読み上げられるシーンを詳細に分析し、二人の間に作り出される時間と空間の隔たりを明らかにする。
 吉岡は、近代的な伝記の成立という側面から見た時に、キリスト教系の伝記はどのように位置づけられるのかという問題意識から、その一例として内村鑑三「代表的日本人」を取り上げて論じる。キリスト教系の伝記には、「道義」「真理大道」は「人」に体現されるという認識があり、それを描くものとして伝記を位置づけていたという。こうした自らの生き方の模範となるものとしての同時代の伝記群と比較しながら、「代表的日本人」の伝記としての特質を明らかにする。その特徴として、人間と超越性との関係の構造を理想的人間像として置いた上で、時代・社会•他者・領域・ジャンルとの相関関係でその人物の特性を描き出している点、試練・困難とその解決のつながりという形で人生の軌跡を描き、その人物の「天命」「使命」という形で超越性と歴史性・時代性を交錯させていく点、自伝との間テクスト的な関係によって、伝記の人物像や表現に説得力を与えていく点を挙げる。(押野武志)

東北支部

 2025年度冬季大会を12月21日(日)午後、宮城教育大学(2号館210教室)を会場に、オンラインとの併用で開催した。自由研究発表1件と、特集「宮沢賢治と「子ども」の文学」の研究発表3件を行った。発表者とタイトルは下記のとおりである。会場に40数名、オンラインで20名ほどの参加があった。支部会員外の参加者も多く、用意された資料が足りなくなるほど予想以上の参加者があり盛況だった。

(自由発表)
石上真理氏(東北大学大学院博士課程2年) 井上ひさし『新釈遠野物語』論 キャラクター化する「ひょうはくきり」

(特集)宮沢賢治と「子ども」の文学
宮川健郎氏(武蔵野大学名誉教授) 宮沢賢治、テクストの子ども性
押野武志氏(北海道大学大学院教授) 賢治童話における死に別れる子どもたち
大沢正善氏(岐阜聖徳学園大学名誉教授) 「アドレッセンス」の展開
司会:中地文氏(宮城教育大学教授)
ディスカッサント:阿部愛美氏(花巻東高等学校教諭) 宮沢賢治と「子ども」の一事例

 石上真理氏の発表は、井上ひさし『新釈遠野物語』を取りあげて、この小説に登場する「話者」犬伏老人の造形が遠野に実在した巧みな話術でほらを吹く語り手である「ひょうはくきり」に由来すること、またこの作品が発表された1973-74年を前後する時期が『遠野物語』を再評価する言説や引用した紀行エッセイのテクスト群が現れブームになっていたことの2つの観点から本作を解釈し意義づけた。本作は、ほら吹きによる怪談話として語りの現場を前景化させ、語りの伝承の場のなかで『遠野物語』を「新釈」した作品であり、同時代のブームのパロディであるように見えて、実は遠野における語りの実態にも迫っていたのではないかと論じた。
 特集では、児童文学、宮沢賢治研究に永年の実績がある三氏の研究発表と質疑・意見交換が行われた。
 宮川健郎氏は、幼児が無数の音声を発しうる能力を失うことと引き換えに特定の言語を獲得するという「エコラリアス」の言語観(ダニエル・ヘラー=ローゼン)をふまえ、賢治童話における創造的な「オノマトペ」に着目した。原初的で混沌とした音声が反響した言葉として「オノマトペ」を捉え直し、そこに賢治テクストの「子ども」性があるのではないかと論じた。
 押野武志氏は、愛する者との死別を描いた童話を取りあげ、死者に対する生き残った者の罪の意識「サバイバーズ・ギルト」を観点として、「永訣の朝」とも題材の重なる「〔手紙四〕」を最初の手がかりに、「ひかりの素足」「黄いろのトマト」などいくつかの童話を取りあげて、当事者と傍観者的立場の交叉する語りを検討した。
 大沢正善氏は、賢治が「アドレッセンス」すなわち十代の青少年期をどう意識しどう描いていたかを、賢治が手にした大正期の青年心理研究書、『赤い鳥』の子ども観、大正期までの訓育的な教育に対してドルトン・プランにみられるような自由と協同を原理とする新しい教育方法が現れていた背景をふまえ、賢治と同時代教育のなかでの「アドレッセンス」を関連づけて論じた。
 ディスカッサントの阿部愛美氏は、勤務校で行ってきた賢治にかかわる朗読や臨書等の活動を報告した後、発表者3名へ質問し意見交換がおこなわれた。その後、司会の中地氏も交えて会場・オンラインからも質問や意見が活発におこなわれた。
 大会に先立って運営委員会が行われた。今後の大会の予定、会報の発行・発送状況の報告、会計の状況や執行方法に関する意見交換が行われた。運営業務の分担と連携のためには連絡と確認が大事であること、適正な会計の執行のための注意点などを確認した。(山﨑義光)

北陸支部

 十一月三十一日に金沢市・金沢大学金沢駅前サテライトで二〇二五年度大会を持った。

○服部峰大「読み換えられる映画「風の又三郎」――シナリオ教材の中の宮沢賢治――」

 服部氏は一九四八年から五九年まで中学国語教科書に掲載されたシナリオ「風の又三郎」における教材化の狙いと時代相について分析・考察された。宮沢賢治の童話を原作とする一九四〇年の日活映画「風の又三郎」のシナリオを大幅に改稿した本教材について服部氏は、典拠に比べ主人公髙田三郎の不思議さが強調され、三郎とそれを囲む子どもたちのリアルな描写が後退すると分析、そこに文字情報を映像化する空想力養成を重視する当時のシナリオ教材観の反映を見て取り、原作や映画にも存した空想性が戦後の時代状況に応じて反戦的科学性を帯びることを指摘された。さらに本教材が「雨ニモマケズ」が中心だった賢治作品教科書収録状況のなかで、劇やシナリオなど多彩な形での賢治作品教材化を招来し、今日の賢治作品イメージの多様性を形成することになったと評された。(團野光晴)

東海支部

東海支部は二〇二五年八月三日(日)に第八〇回研究会および総会(対面/愛知淑徳大学)、二〇二五年一二月一四日(日)に第八一回研究会(対面/愛知淑徳大学)を実施した。

第八〇回研究会《研究発表》
〇倉地智哉「井村春光の創作活動とその生涯に関する伝記的研究 ――北海道詩人から皮膚科医への変貌」
コメンテーター:加島正浩
◯榊原祐香「八木重吉の《たま》――多義的イメージの考察」
コメンテーター:尹芷汐(名古屋大学)
◯永井聖剛(愛知淑徳大学)「明治二〇年代におけるトルストイ受容の一断面 ——国木田独歩と田山花袋の修業時代——」

 倉地氏は井村春光をとりあげ、札幌医大在学中の札幌医科大学学友会々誌『ARTERIA』の創刊、更科源蔵の北方詩話会の詩誌『野性』、詩誌『至上律』への作品を寄稿をふまえながら、兄である安部公房との関連と創作活動の在り方について明らかにした。
 榊原氏はキリスト者としての詩人八木重吉をとりあげ、「たま」のイメージについて考察した。〈玉〉〈珠〉〈真珠〉という表現に着目し、澁澤龍彦『高丘親王航海記』など、古今東西の「たま」をめぐる表現を参照しながら、八木の詩作に対する意識について分析した。
 永井氏は国木田独歩と田山花袋をとりあげ、明治期におけるロシア文学の翻訳の在り様について考察した。明治の近しい時期に別個に翻訳を試みた独歩と花袋の歴史的な奇遇の蓋然性を検証しつつ、翻訳対象がトルストイ『コサック』であった意味を検証した。
 メンテーターからの考察も興味深く、またそれぞれの発表に対して会場から意見が述べられ、今後の研究につながる意義深い研究会となった。

第八一回研究会《研究発表》
◯増田祐希「円地文子「妖」を読み直す――現代によみがえる〈老女〉」
コメンテーター:橋本あゆみ
◯渡邊南央子「小川未明「牛女」の視覚化――演出される母性愛」
コメンテーター:富中佑輔
〇宇佐美陽子「「ドグラ・マグラ」の発見――戦後SF文脈からの考察」
コメンテーター:中村建

 増田氏は円地文子「妖」をとりあげ、『伊勢物語』六三段「つくも髪」の老女との関係性をふまえながら考察を試みた。現代に生きる女性の平均寿命についてふれ、現在において本作が読まれるべき意味合いについて言及した。
 渡邊氏は児童雑誌『おとぎの世界』に発表された小川未明「牛女」をとりあげた。先行研究を用いながら、絵本としてテクスト化された際の視覚化の問題について言及しながら、「母性愛の物語」としての受容の在り方を検討した。
 宇佐美氏は「日本三大奇書」の一つに位置付けられる夢野久作「ドグラ・マグラ」について発表した。作品の発表から全集刊行までの時期に焦点をあてながら、「ドグラ・マグラ」のSFとしての〈読み〉をふまえ、これまでの作品評価についての分析を試みた。
 それぞれの発表では詳細に資料が提示され、またコメンテーターの意見も的確になされた。会場からの質問に対する応答も様々になされ、今後の研究の可能性を広げる意義深い研究会となった。(柳井貴士)

関西支部

 二〇二五年度関西支部秋季大会は、一一月八日(土)に関西大学を会場として、対面とZoomウェビナーによるオンライン中継とを併用して開催した。今回は三本の自由発表が行われた。
 最初の発表は、金杉美咲氏「雑誌『都の花』と女子教育──創刊から秋月女史「許嫁の縁」掲載まで──」で、『都の花』創刊までの経緯を丁寧にたどり、小説雑誌に変じる以前、女子教育雑誌として準備され、創刊後もその側面が残っていたことを明らかにし、創刊まもない同誌に連載された秋月女史「許嫁の縁」をはじめとする女性作家作品の分析をとおして、実質的な主幹であった山田美妙が編集を担っていた初期は、女性作家の起用を続け、書き手である女性を可視化しようとしていたことを論じた。
 次の峯村至津子氏「口絵・挿絵が語るもの──『文芸倶楽部』初期掲載作に於ける口絵・挿絵等の諸問題──」は、雑誌『文芸倶楽部』明治二八~二九年にかけての巻頭小説に付された木版口絵および挿絵や内題付随のカット画と小説本文・草稿とを綿密に対照して、作者からの指示が出された時期や指示の程度を考証したもので、雑誌掲載の作品や紙面を小説作者、画師、出版社それぞれの三者三様の意識が交差する場であることを念頭に置いて見る必要があるという見解が示された。
 三番目の吉田拓也氏「石川淳『六道遊行』論──過去と現在の交点をめぐって──」は、称徳天皇、藤原仲麻呂、道鏡らが活躍する天平期の奈良と、架空の人物である小楯がタイム・スリップする「現代」という二つの舞台を往還するかたちで展開する『六道遊行』について、一九七〇年代のオカルトブーム、古代史ブーム、伝奇小説ブームなどにおける偽史の言説の氾濫と接続させ、過去と現在の共通点として陰謀論的想像力が働いていることを指摘し、『狂風記』との差異を浮かび上がらせた。
 当日は、会場参加が五二名、オンライン参加が二三名、合わせて七五名の参加があった。遠方から会場にお越しいただいた方もあり、質疑応答も大いに盛り上がった。三つの発表の司会は、それぞれ天野勝重氏、武田悠希氏、宮本和歌子氏、佐々木幸喜氏が担当した。大会終了後には和やかな雰囲気の中で懇親会でが行われ、会員相互の交流を深めることができた。
 なお、電子版機関誌『関西近代文学』第五号は、昨年五月締切りで募集したが、掲載できる論文がなかったため、同一一月締切りの投稿論文の掲載誌を第五号とする予定である。引き続き、会員諸氏の意欲的な投稿を期待したい。(関 肇)
 二〇二六年度の春季大会は、六月六日(土)に追手門学院大学総持寺キャンパスで、対面とオンライン中継を併用して開催いたします。自由発表を予定しています。皆様の御参加をお待ちしております。なお、春季大会、『関西近代文学』に関する詳細につきましては、関西支部公式ブログを御覧ください。(高橋 啓太)